『国宝の城』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:安井水道工業所 安井 健治 氏

『国宝の城』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:安井水道工業所 安井 健治 氏

史跡散策路

冨士権現天満宮(ふじごんげんてんまんぐう)・荒子城跡

山口 雄一郎 氏(水道組合)
山口 雄一郎 氏(水道組合)

 創建年は不祥、祭神は木花開耶姫命と菅原道真公である。荒子城主前田利家が勧進した社であり、荒子城の鎮守神であった。境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存されている。荒子城は、天文年間(1532年~1555年)前田利昌の築城、利家も居城し、天正9年(1581年)廃城となった。
城の規模は、「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、東西が約68メートル、南北が約50メートルであった。

会議コーナー

定 例 理 事 会

理事会風景(総務委員会)
理事会風景(総務委員会)

理事会風景(資材委員会)
理事会風景(資材委員会)

1.開催日時   2月1日(水)

           午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   16名

青年部会コーナー

第131弾定期夜間勉強会

  開催日  1月18日(水) 

  参加人数 31名      

技能開発部会・青年部会共催

 

 今回は、TOTO株式会社の商品技術課の方を講師としてお招きして、「トイレのことをもっと知ろう」というテーマで、日ごろ聞く機会のない開発担当者からのトイレの話をうかがいました。

 講義内容は大きく5つ、トイレの構造分類、トイレの歴史と発展のながれ、シャワートイレの開発史、トイレの最新おもてなし事情、そして旅客機のボーイング787のシャワートイレの開発秘話というものです。

 たくさんの興味深い話を聞く事が出来ましたが、その中でも2つの内容がとくに印象的でした。

 1つはトイレの分類についてです。洗い落とし式からはじまって、より複雑なサイホゼット式まで、トイレの水流方式は常に進化してきたのですが、ここ最近は節水という制限がついてきたことで、従来の水流方式を見直して、節水しながらも確実な流れを実現するトレンドになっていることを知りました。トイレの水流も、日々進化していることを実感しました。

 2つめは、ボーイング787の飛行機のシャワートイレについてです。旅客機用のシャワートイレの開発は世界初とのことで、商品開発にあたってボーイング社からの要求がすさまじいものだったそうです。

通常のシャワートイレなら数十分で割れてしまうような振動数や、きりもみ状に落ちているときでも壊れない耐久性を備えつつ、20年の耐用年数であること。さらに絶対に発火しないように、熱交換器すべてを断熱することなど、実際の仕様リストを見ながらお話を頂きました。なおこのシャワートイレは、ボーイング社以外には販売していないそうです。

 今回の定期夜間勉強会では、トイレの開発についての裏話を聞けただけでなく、商品開発者ならではのトイレへの熱い思いを感じる事が出来てたいへんよかったです。

 これからも様々なテーマや切り口で、勉強会を開催していきたいと思いますので、ご参加をお待ちしています。

 

青年部会 緑支部 太田佳典

特別寄稿コーナー

あるアラフィフ上下水道女子のつぶやき

名古屋市上下水道局 経営本部 営業部

主幹(営業所業務の企画・調整担当)新美 君栄

 

 名水協のみなさま こんにちは。

 日頃より上下水道事業にご協力をいただき、誠にありがとうございます。市民の関心事項である災害対応では、1月23日に放送されたNHK「ほっとイブニング」では仮設給水栓による応急給水を工事店の方にご説明いただき、市民には我々が説明するよりご安心いただけたのではないかと思いました。これからも工事店のみなさまと良好な協力関係を築いてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

 さて、自己紹介が遅れましたが、わたくし、恥ずかしながら、水道局(当時)に奉職し三十ン年になる「上下水道女子」でございます。

 先だって、いわゆる「男職場」で女性が働くことについて他市町の女性職員の方々と意見交換する機会を日本下水道協会にいただき、昔、働きにくかったり働きやすかったりしたことを思い出しました。最近では新規採用者の半数近くを女性が占め、各職場に多くの女性の姿があることは、私の入局当時と比べると隔世の感があります。新規採用時代、職場には、かなり年上の女性職員が1~2名配属されておればよい方で、職場によっては初めての女性職員として迎えられたこともありました。

 また、研修で訪れた工事現場の入口で(決して安全確保のための配慮ではなく、現場におわす神様が女性が入ると怒るからという理由で)「女の子は立ち入り禁止だで、ここで待っとって」といわれたり、お客さまに「女では話にならん!男を出せ!」と怒鳴られたりしたことが一度や二度ではありません。その反面、私のようなひねた性格のかわい気のない女の子でも、大事にされ甘やかされたという、ありがたい面もありましたが。女性にとって都合のいい面も悪い面も、現在なら、ともに「セクハラ」としてひとくくりになるであろう状況だったという点でも隔世の感が大きいです。

 とはいえ上下水道業界の、特に技術畑では女性がまだまだ少数派であることは否めない事実です。実際、地方の市町では環境的に私の新規採用時代と変わらない職場があるようで、彼女らの苦労が偲ばれるところです。一方で、毎月楽しみに拝読しているこの「組合だより」でもエッセイの投稿者が女性であったり、勉強会開催の報告記事の写真に女性の後ろ姿が写っていたりと、名古屋の上下水道業界にも徐々に女性パワーが浸透しつつあるなぁと、非常に心強い気持ちでおります。

 折しも日本下水道協会主催「下水道広報プラットフォーム(GKP)」の中に「GJリンク」なるものが立ち上げられました。 これはGJ(下水道分野で働く女子)の組織を超えた連携を図ろうという主旨の集まりです。現在は官公庁の下水道分野で働く女子が参加者のほとんどですが、今後は民間の女性にも参加していただきたいと考えており、名水協会員各社に所属されている女性の皆さんにも、まずはこんな活動があるんだ!と知っていただけたらと思います。興味を持たれたあなた!詳しくは日本下水道協会のウェブサイトをぜひ一度ご覧ください。下水道女子仲間が待っています!あれ?いつの間にやら貴重な誌面をお借りしてGJリンクの売り込みになってしまいました(確信犯です)ごめんなさい。

筆の泉コーナー

猫を飼っています。

名古屋市上下水道局 施設部 施設整備課

建築整備係長 園田 賢吾

 

 結論から言いますと、「とても良い」です。

 子供の頃にも猫を飼っていましたが、ずいぶん久しぶりに猫との生活を送っています。その中でみつけた、前に飼っていた時もこうだったっけ?といったような新発見、再発見を少しだけ紹介させてください。

<猫のサイズ>

 我家の猫は、もうすぐ2歳になる長毛種のメスです。かなりの荒くれ猫ですが、見た目はお嬢様です。ただ、大きいです。初めは「太らせ過ぎたかな?」と思ったのですが、どうやらこの猫は大きい!というより長い!という事に気付きました。手足が短くて胴体が長く、猫なのに小型犬より大きいんです。手足を伸ばして寝ている姿を見ると、実家のダックスフンドのことを思い出すこともあるくらいです。その独特なフォルムからか、「オムレツさん」「おにぎりさん」「フクロウさん」などのあだ名も持っています。

<猫も滑る>

 今まで短毛種しか飼ったことがなかったせいか、猫が滑るというのを初めて見ました。長毛種は肉球の間の毛もかなり長くなるので、床などでは滑りやすくなります。勢いよく走っていると、キュッと止まれないため、コーナーではドリフトになっています。そのせいで、家具にぶつかったりして危ないので、月に一回くらいは、私が散髪屋さんになります。当然のように嫌がって暴れるので、妻と2人がかりで奮闘しています。

<猫なのにうるさい>

 猫というと、足音なく歩き、高いところからシュタッと降りるイメージですが、我家の猫は、これが苦手です。ついでに言うと、ジャンプも苦手です。興奮していると、馬が走っているかのような音を立てて走り、高いところからは見ているほうが心配になるくらい「ドスッ」と音をたてて降ります。そして、時々ですが、机に飛び乗ろうとして目測を誤り、床に落ちたりしています。友達に「ドスドス日本一だね」と褒められたこともありますが、複雑な心境です。

<猫と寝るということ>

 よく聞く猫のかわいいエピソードも、ことごとく体験できていません。うちは炬燵がないため、炬燵内で丸くなるというのも見られていませんし、布団の中にも入ってこないので猫で暖を取るということも未体験のままです。ただ、布団の中には入ってきませんが、私の枕で寝るのが好きなようで気が付くと枕を取られています。布団に入っても安心することはできません。猫の夜行性について知識はあっても、こんなに頻繁に起こされるとは思ってもみませんでした。早朝の運動会はもちろん、真夜中でも構わず起こしに来ます。

 人間にしろ、動物にしろ、いてくれるだけで楽しい気分になれる存在がいるということは嬉しいことだと思います。

 

もう一度言います、「とても良い」です。

談話室コーナー

梅の実は神様?

名東支部・有限会社 宮澤水道

C・K

 

東風吹かば におひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな

 

 梅の種を割ると、白い実(仁)があるのをご存知だろうか?「天神様」なんて呼ばれたりもする。小さいころ私はこの“天神様”が好きで、梅干を食べるとよくボリボリと口の中で割って食べていた。

…でもこの梅の種の実なんかに、どうして、天神様、なんて神々しい名前が付いたのだろうか? 

 時は昌泰2年、899年。醍醐天皇の右大臣に昇格したのは菅原道真。もともと頭の良い道真は、天皇中心の政治体系を作ろうと次々に功績を重ね、この右大臣の座に上り詰めた。

 しかし、この中級貴族出身の道真の破格な昇進を妬む人間がいた。この時の左大臣、藤原時平もその中の1人。彼らは醍醐天皇に「あいつは貴方を天皇の座から引きずり落して、自分の娘婿を天皇にしようとしていますよ」と嘘をつき、道真を陥れようと企んだ。それを聞き怒った醍醐天皇。昌泰4年、901年。道真の弁明も聞かず、彼とその子供4人を大宰府(九州福岡)へと左遷・島流ししたのであった。

 道真は大宰府で故郷を想いながら、醍醐天皇に「帰っておいで」という恩赦を待ち続けたが、2年後、その願いが叶うことなく亡くなってしまった。

 その後京都では、次々に異変が起こり始めた。藤原時平が39歳の若さで病死、また道真失脚の首謀者の1人とされる右大臣が、狩りの最中に泥沼に沈んで溺死。また醍醐天皇の息子などが次々に病死した。さらには、延長8年、930年。朝議中の清涼殿が“落雷”を受け、道真失脚に関与したとされる朝廷要人に多くの死傷者が出た。それを見ていた醍醐天皇も体調を崩し、3か月後に崩御した。

 さぁて、人を呪わば穴二つ。思い当たる節も多かった朝廷の偉い人たちは、この異変を「道真の祟り」と恐れ、道真に殺されたくない一心で、子供たちの島流しを解いて呼び戻し、彼には名誉回復と高い地位を授与した。

 落雷の事件から、道真の怨霊は雷神と結びつけられ、京都の北野天満宮を建立し、以後大災害が起こるたびに、道真の祟りとして恐れられ、「天神様」として天神信仰が広まった。そう、これが梅の実(仁)が“天神様”と呼ばれる語源である。

 ちなみに、災害の記憶は風化され、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神様は学問の神として信仰されるようになったそうな。

 では何故“梅の実”が天神様なのだろうか?

それは道真の左遷が決まり京の都を去る時に詠んだ詩にヒントがあった。そう、冒頭の詩である。

 

東風(こち)吹かば におひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな

 

――東風が吹いたら(春が来たら)、芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。

 道真は、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木に、語りかけるようにこの詩を詠んだ。主人を慕う梅の木もまた、道真を追いたい気持ちを強くし、その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に根を下ろした。(飛梅伝説)

 梅の花を愛した彼は、ひっそり種となり、全国に綺麗な花を咲かせて楽しんでいるのかもしれない。

(諸説あり)

消防コーナー

地震に備える10

名古屋市消防局OB 近藤 博

明治24年(1891年)濃尾地震(6)

 

引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等を、紹介し地震直後の実情をみていきたいと思います

 

○ 岐阜県の場合(その2)

3 地震発生情報の伝達

  地震発生当日、小崎岐阜県知事は東京に滞在していました。

 その日、各県の知事(当時は官選知事でした)は地方官会議に出席のため、東京に集まっていました。もちろん、震源地の岐阜県知事をはじめ愛知県知事・福井県知事等も同様でした。

 28日午前6時半頃、中央気象台(明治8年6月1日から内務省地理寮構内で業務を開始した東京気象台は、明治20年1月1日から中央気象台と改称し、業務を開始していましたー気象庁「気象庁の歴史」)始まって以来の大地震が発生し、東海道線(明治22年7月1日に全線開通 国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」明治22年7月)が不通になっているというニュースが29日の新聞紙面にでている状況でした。(『時事新報』明治24年10月29日)

 29日に号外を出した新聞もあります。「一昨朝の地震は東京にて左程に観ぜざりしが関西地方は、岐阜愛知地方を中心として非常の強震にて其被害は特に甚(はなはだ)しく人家の倒潰人畜の死傷、夥(おびただ)しき(以下略)」『中央新聞号外』明治24年10月29日)

 この新聞では、岐阜・愛知は関西地方になっています。

 

 東京でも、この地震により小菅の監獄や横浜電燈会社の煙突が崩れてしまった程ですから、恐らく会議に出席していた知事たちは、日常的な地震よりは大きな揺れを感じていたはずです。

 しかし、被害地を管轄する知事たちは、地震発生時には何処で地震が発生したか分りませんでしたので、地元でこれほどの大きな災害が発生しているとは、夢にも想像していなかったと思います。

 時間の経過と共に、逐次各県から被害報告の電報が東京に打電されてきていますので、少しずつ被害の様相は判明してきたと思われます。

 しかし、地震が発生した28日中には、最も大きな被害を受けた岐阜県から、被害状況を知らせる報告は東京(内務省宛)に打電されることは無く、岐阜県知事の元にも届かなかったようです。

 その時には、既に岐阜市や大垣町など岐阜県西濃・中濃地方は壊滅的打撃を受けていたことになります。

 

4 岐阜県の被害状況報告

 国の公文書には、激震の各地から知事名で内務大臣宛に地震発生の電報が次々と入ってくる状況が記録されています。(明治24年『公文類聚』14、内務省5)静岡県(10月28日午後12時48分発)、福井県(午後1時発)、富山県(午後2時20分発)などです。

 29日付け『官報』にも、福井、大阪、愛知の各県における震災発生についての電報は掲載されていますが、岐阜県の情報はまだここには掲載されていません。

岐阜県から届いた内務省宛ての第1報は、発生翌日の10月29日午後7時50分発の電報でした。

 「二十八日午前六時三十七分大地震、岐阜市中家屋転倒、全市街ノ四分ノ一人畜死傷数知レス、引続キ火災ノ為メ市中九分通リ焼失セリ、大垣潰家九分通リ、焼失七分通リ、死傷数未ダ分ラス、ソノ他各郡村トモ被害甚シ…」

 

 なぜ、被害の最も激しかった岐阜県の被害状況報告が遅れたか、岐阜県の『震災日誌』(岐阜県知事官房)によれば以下のとおりです。

知事の留守を預かる藤尾書記官(明治19年の「地方官官制」施行にともない知事の下に第一部・第二部(明治23年改正により新たに内務部)が設けられ、部長として書記官が置かれていました。藤尾書記官は上席書記官と思われます)は、28日午後1時に警察本部の雇員大坪俊三に、震災状況を記した報告書を持たせ、在京知事の許へ急遽上京させました。しかし、行き違いになった模様で、小崎知事は10月30日午後1時に岐阜へ帰っています。

 その間、藤尾書記官は29日には、知事の帰県の日程を問い合わせるとともに、岐阜市の惨状を打電(上記の電報か 筆者)、併せて同文電報を内閣官報局へ送っています。

(書記官の項出典 国立国会図書館法令索引「明治19年7月20日「地方官官制」(勅令第54号)第14条 第24条」及び文部科学省「学制百年史―地方自治制度と地方行政制度」)

 

 藤尾書記官は、被害状況に鑑み当初直接の報告が必要と判断し、報告書と共に連絡要員を上京させたものと思われます。しかし、前述の新聞報道の通り当日は開通間もない東海道線が地震のため不通になっていたため、東京到着までに時間がかかり知事と行き違いになってしまった。

 知事との連絡が、中々とれないため、29日になって急遽内務省及び内閣官報局宛被害状況報告を打電したのではないかと思われます。

 

 地震発生の28日から知事帰還の30日深夜まで、県庁には県内各郡から被害報告と救済支援の要請が間断なく届いています。その殆どは被害の酷さと医療救済、食料緊急支援の要請でした。藤尾書記官等県庁職員は、その対応に忙殺されていたと思われます。

 東京の新聞社から現地に派遣された記者が、ほぼ1週間後の惨状を眼にして災害地の医療尚足らざる可し」として、負傷者のうちでも手当てさえあれば、助った人が多いと嘆いているほどの状況でした。(『時事新報』11月5日)1週間後でも、なお死者及び負傷者が大勢眼に付いたのだと思われます。

 

 上記のような惨状を呈する中で、情報伝達・連絡手段が限られていた当時、被害が最も大きかった岐阜県の地震直後の情報伝達・報告がなぜ遅れたか、当時の混乱を窺うことができる記録かと思います。

法律コーナー

野球観戦中の傷害

弁護士   松 永 辰 男

 

 日本ハム球団が、親による引率を条件とする小学生の子ども達の野球観戦に札幌ドームへ招待する企画に応じて平成22年8月22日に小学生の長男及び長女を連れて札幌ドームの1塁側内野席自由席18番通路10列20番で観戦していた31才の母親の顔面に選手の打ったライナー性のファウルボールが直撃し右眼球破裂等の傷害を受けた事件があり、傷害を受けた母親が日本ハムファイターズと球場管理者である札幌ドーム、球場所有者である札幌市を相手に4000万円余の損害賠償を求める訴えを札幌地方裁判所に起こしました。

 一審の札幌地方裁判所は母親の請求を認めて球団、球場管理者、札幌市に対し4196万円余を支払うよう命じましたが、これを不服として控訴した裁判で札幌高等裁判所は、日本ハムファイターズに対しては3357万円余の支払いを命じましたが、球場管理者と球場所有者に対する請求は認めませんでした(平成28年5月20日札幌高等裁判所判決・判例時報2314号40頁)。

 一審の札幌地方裁判所の判決理由では、選手の打った打球が観覧席に入り、それが観客に当たった場合は危険であること、特にファウルボールにあっては2秒程度で打ち込まれてくるのであり、野球は国民的娯楽であることから幼児や高齢者を含め、野球についての知識に乏しい一般国民も来場することが想定されているのであるから、危険なボールを避けることを防ぐための万全の配慮が必要であるが、その配慮にかけていたといって損害賠償を命じました。

 これに対する札幌高等裁判所の判決では、娯楽としての野球観戦は、可能な限り選手のプレーを間近にみたいという思いがあり、危険と隣り合わせの面もあるが、そこにある臨場感というものの醍醐味も評価されなければならないといい、内野席に儲けられた高さ2.9メートルのフェンスという設備についても安全配慮としては相当なものであって、球場管理者と球場所有者には安全配慮義務を怠った過失はないと判断し、両者に対する請求は認めませんでした。

 但し、試合の主催者であります球団に対しては、野球を観戦する者に対しファウルボールが観客席に飛来するおそれがあること、危険性が高い席と低い席があることを具体的に告知して席を選択する機会を保障するなど安全対策を講ずる義務があるのにそれを怠った過失があったとして損害賠償義務を認めたが、傷害を受けた人にも20パーセントに過失があったとして損害額を減額しました。

木祖村コーナー

木祖村アンテナショップ情報

 2月 の寒い季節、いかがお過ごしでしょうか。

木祖村アンテナショップでは健康食品が大人気!

今回はアンテナショップで人気な商品を紹介します

 

1位 甘酒

当店の1番人気!

ビタミンB群が含まれ美肌効果、便秘改善、美肌効果、疲労回復に効果があり飲む点滴と言われています。

 

2位 えごま

カロテンやビタミンC、ビタミンEが多く含まれ、

免疫力の向上、老化防止の効果がると言われています

多くの方にお買い求めいただいてます!

 

3位 すんき

すんきに含まれる乳酸菌は、免疫調節作用の力が強く感染症の予防や花粉症などのアレルギー症状を軽減する作用があると言われています。

     お問合せ:源気屋桜山店

TEL/FAX:052-680-737

営業時間:10:00~17:00

休業日:木曜日・日曜日

 

木祖村 春のイベント出店情報

 

○3月4日(土)ー5日(日) 『第26回佐布里池梅まつり』

※梅祭りは2月11日(土)~3月12日(日)で開催しています。

 

木祖村のイメージキャラクター源流の源気くん登場!特選うまいもんコーナーにて王滝村さんと共同で特産品の販売も行います!ぜひ遊びに来て下さい。

(詳細はこちらhttp://www.city.chita.lg.jp/docs/2013121900089/)

編集後記

編 集 後 記

つい最近、クリスマスを過ごし、新年の正月を迎えたばかりであったが、早くも、弥生(やよい)三月を迎えた。月日が早く経過すると感じられるのを心理学で説明したのが、いわゆるジャネーの法則と呼ばれるものである。すなわち、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する。10歳の少年少女と60歳の人を比較すると、10分の1年:60分の1年は、1年:2月。10歳にとって1年と感じられるのが、60歳ではわずか2月。道理で速い訳だ(ジャネーの法則については、水道公論2月号を参考とさせていただいた。)。

 

March comes in like a lion and goes out like a lamb. 三月は獅子のように荒々しい気候とともに始まり来て、穏やかな子羊のような気候となって去っていく。()海野(みの)チカさんの「3月のライオン」もここからか。イギリスのことわざで、冬から春のダイナミックな気候の変化を表しているが、当地の気候の移り変わりは、それよりは穏やかであってほしい。また、花粉や偏西風にのってくる黄砂、PM2.5の飛散も少なく、鼻腔(びくう)や気管支が悲惨な状態とならないようお願いしたいところである。黄砂は、洗い流すことが有効であるとされるので、「水道」のお世話になることとしよう。

 

トランプ暴風が吹き荒れたり、戦争の引き金ともなりかねないミサイル発射や人権侵害の最たる暗殺の疾風もこれ以上起きたりしないように願いたい。また、ボタン一つで世界の破滅ということのないように願いたい。

 

さて、3月、4月は、社会人にとっても、別れと出会いの季節である。お世話になった方が職場を離れ、新たに社会人となった方を迎える職場もあるであろうが、新しい環境になじむよう暖かな気持ちで見守り、支援できるようにと願いたい。

新たな旅立ちで遠方の学校への就学、家族の転勤などもあろうが、巣立ちや定着が順調にいくことを願いたい。

 

世の中、願うことばかりですが、願いを結果に結びつけていくのは、具体的な「準備行動」であろう。自分を知り、相手を知る。置かれている環境、職場、仕事を知る。成長したいという意欲を日常の仕事の中でも持ちうるようにし、仕事の成果、評価につなげていけるよう必要な準備を心がけたいと思います。

 

春は、夜がほのぼのと明けようとする頃に目覚め、また、たなびく紫雲を美しいと感じる感受性を保ったうえで、事前の準備をしたい。そうゆう余裕を持ち合わせていれば、年度末のあわただしさもきっと乗り切れると思う。

(E・Y)