『電車の風でゆれる紫陽花』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:恵北設備工業㈱ 小林 豊 氏
史跡散策路
豊国神社
山口 雄一郎 氏(水道組合)
豊国神社は、名古屋市中村区の中村公園内にある豊臣秀吉を祀る神社。
同名或いは同字の神社が全国にあるが、当社は敷地が豊臣秀吉の生地に当たる。なお東隣の妙行寺は加藤清正の生地であり、当社でも摂社で清正を祀っている。
中村公園駅の前には24Mの「中村の大鳥居」があり、これは、京都府の平安神宮大鳥居と同じ大きさである。これは当時世界一大きい鳥居であった。 また、駅から神社に至る道では、毎月「9」の付く日に開催している60年続く朝市「豊國参道 九の市(くのいち)」が行われ、2017年現在、80店舗ほどの店が連なり、今後もさらに50店舗の出店を掲げている。 また中村公園には、この地域が初代中村勘三郎の生誕地であるため、生誕像の建立させた。
会議コーナー
臨 時 ・ 定 例 理 事 会
理事会風景(資材委員会)
理事会風景(業務管理委員会)
1.開 催 日 時
臨時理事会
4月20日(水)午後3時
定例理事会
5月 8日(月)午後3時
1.開 催 場 所 水 道 会 館
1.理 事 の 定 数 17 名
1.出 席 理 事 17 名
青年部会コーナー
第134回定期夜間勉強会
開催日 4月19日(水)
参加者 47名
技能開発部会・青年部会共催
今回の定期夜間勉強会は、前澤化成工業㈱中部支店名古屋営業所のご協力をいただき貫通スリーブ・排水管ヘッダー・陶管継手・特殊継手の勉強会を開催しました。
今回の勉強会の内容ですが、私が数年前に個人邸注文住宅を受注し施工するとき、基礎貫通継手や排水管ヘッダーが自分自身非常に役に立ったので、皆さんに紹介したく夜間勉強会で企画させて頂きました。
お客様にとっては屋外の汚水桝は見栄えが悪いので必要ないと言いますが、維持管理やメンテナンスをする上で必ず必要となります。
そんな時に、排水管ヘッダー工法をお客様に提案させていただき、屋外汚水桝の数を減らした結果、外観に納得していただき竣工時は非常に喜んでもらうことができました。
水道工事店として、お客様の要望に答えるのはもちろんですが、プロフェッショナルの仕事を行い、10年後・20年後も新築当時と変わらぬ生活をお客様にお届けできればと思います。
今回の勉強会に参加された方々が、仕事に役立てていただければ幸いです。これからも組合員の皆様の工事に直結できる勉強会を企画していきますので、ご要望等があればお聞かせください。今後も皆様のご参加を心よりお待ちしております。
青年部会 天白支部 野村直博
筆の泉コーナー
鉄道旅
名古屋市上下水道局 施設部 大治浄水場
水質係長 古川智幸
私は鉄道旅が好きです。世間的にはいわゆる「鉄ちゃん」に属するのかもしれませんが、鉄道車両自体にはほとんど興味がありません。どの車両が何系なのか、全然知りません。A駅を○時○分に出発する特急○○に乗るとB駅に○時○分に着き、○分後に出発する普通電車に乗り換えてC駅に○時○分に到着できる、というような旅に興味があります。
鉄道旅にはまるきっかけは、中学一年生のときに鉄道好きの友人が電車の撮影をするということで、それについていったときに時刻表の存在を知ったことです。時刻表を駆使すれば全国を旅することができるということの面白さに取りつかれた矢先の、二年生の春休みに国鉄がJRになるということで、国鉄最終日の3月31日に使用できる全線乗り放題切符が発売されて、それを使用して前述の友人と名古屋→長野→高崎→新潟→富山→名古屋と乗りつぶしました。翌年の春休みには友人4人で中学卒業記念の四国鉄道旅をして、同じ4人で高校卒業記念の九州鉄道旅(実際はこの中に浪人生が出てしまったので、実施は一年遅れの大学一年時でしたが)をしました。
大学生のとき、また社会人になってからも、青春18きっぷ(夏冬春に発売される、JRの普通・快速乗り放題切符)を使用しての10日間本州一周、夜行列車を利用しての広島・島根・鳥取の旅、周遊券を使用しての北海道一人旅などをしました。
その後、結婚し、子育てをするようになり、鉄道旅はできない状況になりましたが、その状況が大きく転換する出来事がありました。それは次男が鉄道好きになったことです。鉄道好きになるように仕向けたわけではなく、実際長男は鉄道に全く興味がないのですが、次男の二歳時に家族で東京旅行をして、帰ってきた直後から鉄道好きになり、近所で名鉄電車を何時間見ていても飽きないようにまでなりました。それで眠っていた昔の心に火が付き、それ以降、家族で大井川鉄道のSLや京都の嵐山トロッコ列車に乗る旅、新幹線と特急を使っての徳島旅行などを計画し実行しました。さすがに鈍行列車にひたすら乗る旅にはできませんので、新幹線が移動の中心ですが。他にも次男を連れて豊橋や岐阜羽島などのすぐ近くまで新幹線に乗ったり、浜松の新幹線工場公開に行ったりしています。妻からは「子供をダシにしている」と言われますが、あくまでも家族サービスです。
今後ですが、次男の鉄道熱が冷めないうちに、近鉄特急「しまかぜ」を使った伊勢志摩の旅、東武特急「スペーシア」を使った日光の旅などに連れて行きたいな、と考えています。繰り返しますが、家族サービスのためですよ。
談話室コーナー
旧町名復活
東支部・株式会社日進工業所
山内 尚子
「西魚町」と聞いて、「あ~そう言えばその昔、水道会館の住所は西魚町だった!」と、思いつく人は少なくなってしまった事だろう。水道会館が、昭和31年(1956)3月に名水土地として設立した頃、桜通り沿いの桜町にあった建物は、昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風で全壊し、現在の地に移転したとの事。その当時、西魚町だった町名は、その後、昭和41年(1966)3月30日、住所表示簡素化政策の為、「丸の内」に変更。既に半世紀が経過し現在に至る。
歴史好きの方は勿論ご存知の事かと思うがこの辺りは、今から400年程前の清州越しと関係が深い地域である。
480年程前、織田信長の父尾張国勝幡城主信秀は、現在の二の丸辺りにあった那古野城から今川氏を追放し居城とした後、その南方に古渡城を築き、勢力を強めていく。その後、信秀の後を継いだ信長が、天下統一に向け、清須、小牧、岐阜、安土と居城を移していった為、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582)頃に廃城となり、雉が多く住む野原となったと伝えられている。
その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の勝利を経て江戸幕府を開いた徳川家康が、大坂城の豊臣秀頼との武力衝突に備え、全国の城の整備を進めていく中、当時、尾張国の中心で、人口6万人を数える賑わいを見せていた清州城下は低地にあり、度々水害に見舞われ、清州城は大軍を収容できる規模ではなかった為、家康は清須城に代わる新城造営地を調査し、名古屋(那古野)、古渡、小牧の三候補地の中から名古屋を選び、慶長14年(1609)名古屋新城の築城・名古屋遷府を正式に発令した。その場所は、名古屋台地の西北端で、台地の西と北は、断崖になっており、断崖の下には泥沼が広がるという天然の要害を持ち、南と東には大規模な城下町の建設が可能な広がりがあった。慶長15年(1610)1月家康の三男第二代征夷大将軍徳川秀忠が、西国の20大名に名古屋城普請(土木工事)の助役を命じてから僅か3年、慶長17年(1612)12月、延床面積が江戸城や大坂城をも上回る史上最大の天守閣を持つ名古屋城天守閣が完成。その後4年に渡り、清州の町の建物・機能全てが移転する「清須越し」が行われた。これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋に移った。城主は、徳川義直(徳川家康九男)。御三家筆頭尾張徳川家の始まりだ。
清州越しの商家の多くは、名古屋城正門から真っ直ぐ南に延びる本町通と東西に走る伝馬町通を中心にして作られた碁盤割(南北に九列東西に十一列の道筋で、碁盤の目の様になっている)の中に移転してきた。
碁盤の目は、北から南へ京町・魚ノ棚(永安町)・杉ノ町・桜ノ町・伝馬町・袋町・鶴重町(本重町)・蒲焼町・広小路(押切)筋、東から西へ久屋町・大津町・伊勢町・呉服町・七関町・本町・長者町・長島町・桑名町・伏見町・御園町筋となっており、水道会館のある「西魚町」(明治4年永安寺町から西魚町に変更)は、魚ノ棚筋と伊勢町筋が交差する辺り。料理屋や魚屋が多かったらしい。
この様に、昔の町名は、町名を見ただけで昔の町の様子が分かる。 伝馬町・蒲焼町・木挽町・桶屋町・鉄砲町・長者町・瀬戸物町等々。今や「丸の内」「錦」「栄」と歴史を感じることができない町名になってしまっている。
弊社がある東区も然りである。幸いな事に住所表示簡素化政策当時、先代が町内会長をやっており、町名変更を断固として反対し、弊社がある代官町は残ったが、多くの歴史ある町名が変わってしまっている。
現在、旧町名は、町内会・バス停・交差点名で残っている所もあるが、消滅している所もある。金沢市でいくつもの旧町名が復活した事もあり、名古屋でも旧町名を復活する動きがあるが、なかなか難しい。今年3月の市議会で、名古屋城の木造復元が決まり、2022年12月の完成を目指し、木造化実現に向け動き出した。これを機に、名古屋城下の歴史を若い世代や観光客に伝えるべく、町々に旧町名やその由来等を記した標柱を設置する等して、名古屋城下も標柱で復元。
昨今、日本一魅力がない都市と言われている名古屋が、近い将来、魅力いっぱい歴史ある都市名古屋に変貌する事を期待してやまない。
消防コーナー
地震に備える13
名古屋市消防局OB 近藤 博
明治24年(1891年)濃尾地震(9)
引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等から地震直後の実情をみていきたいと思います。
なお、特段の記載のない「」内文章は、報告書が採用した『岐阜県史資料編近代1』からの引用になります。
○ 岐阜県の場合(その5)
9 岐阜市の地震発生直後の状況
地震発生直後の被災の状況と救助活動について、報告書は以下のように記しています。ここで記載されているのは県庁所在地である岐阜市の状況ですが、おそらく、他の地域も火災の猛威を除けば、大同小異であったと思われます。
地震発生直後は人々は「周章啞然」として「各自其の一身一家を顧みる」のがやっとであって、「独り警察官は全力を挙げて之に當り、赤手(すで)瓦壁を排し、或は佩刀(はいとう、当時の警察官はサーベルを携帯していました)を以て柱壁を斬り力を尽して避難者の救護に従事した」とあります。
また、岐阜測候所の『大震報告』では、火災発生地の状況は以下のようであったと述べています。
「井水は土砂を噴出して全く枯渇し、消防機械等は倒舎の下に埋没して共に用に堪へず消防夫の如きも亦死傷者あり来たりて事に当たるもの甚だ少なし、之が為め人命救護と火災消防の二者に於ては最も困難を極めリ」
10 岐阜市の救助活動等の状況
救助活動等の状況も報告されていますが、岐阜市の場合は被災者の救出に一番早く組織的に動いたのは、警察だったようです。
県庁書記官が在京の知事宛に送った報告
(1) 被災者の救出活動について
「丸山警部長ハ今泉巡査屯所ニ出張シ、警吏ヲ指揮シテ各所ニ派シ救済セシム、於是藤尾書記官後藤参事官ト今泉派出所ニ会シ、臨時救難所ヲ設ケ、内務部第一第四課員及警部其他ヲ以救難掛ヲ命シ、一時救助其他炊出等市役所員ト協議シ急ニ執行セシム。」
警部長は現在の県警本部長にあたります。(「明治19年「地方官官制」(勅令第54号)第27条、第28条」)
藤尾書記官は、知事不在時を預かる上席書記官ですので、これでみると、警察トップは県庁トップと相談して臨時救難所を設け、県内務部課員と警部・警吏で救難掛を配置し、岐阜市役所と協議して救助活動と炊出しを開始したことが分かります。
(2) 負傷者の治療について
負傷者の治療については「病院ニ於テ尽力」しても間に合わないので「市中開業医ヲ呼集メ、先ツ岐阜警察署内ニ仮病院を設ケ」て負傷者の治療にあたり、救助活動に携わる人手の確保として「師範学校、中学校各生徒ヲ集メ各所ニ分派シ」、また「看守長初メ囚徒ヲ繰出シ、又警察官を助クル為ニ市中ノ負傷者探索ニ従事」させたと報告されています。
法律コーナー
自社の営業と誤認させた会社の責任
弁護士 松 永 辰 男
自社が経営するホテルの中にテナントとして入店させてマッサージ店の営業をさせていたところ、ホテルの宿泊客がマッサージを頼んで施術してもらったのですが、その後頚椎症性脊髄症と診断され、手術の結果四肢不全麻痺の後遺障害を負ってしまいました。そこで障害を受けた客がマッサージの施術をした人とホテルを経営する会社を相手に損害賠償を求めた裁判があり、判決によりマッサージを施術した人とホテルに対し8700万円余を賠償金として支払うよう命じました(神戸地方裁判所平成28年2月10日判決・判例時報2318号142頁)。
ホテル経営者の会社が賠償義務を負った理由は、ホテルは会社経営ですので会社法が適用され、その9条には、他人に対し自分の会社の営業であるものと誤解されるような名称を使用させた場合は、誤解して取引した人に対し、その名称を使用して取引した人と同様の取引上の責任を負うと定められており、つまり、この定めを本件に当てはめれば、一般の人からみれば、ホテル内で営んでいる本件のマッサージ店は、ホテル経営の会社が経営するマッサージ店であるものと誤認される状態であり、マッサージを受けたホテルの宿泊客が受けた損害についても、マッサージ店と連帯して損害を賠償する義務があると判断されたのです。
しかし、このような例はよくあることでして、旅行をしたときにホテルに泊まればマッサージの施術を受けることがよくあります。本件の場合はホテル内にマッサージ店を営業している人がいて、複数のパーテーションの板で区切られているが、入り口付近には扉はなく、マッサージの施術料金は、ホテルの部屋番号とサインだけでホテル代と一緒に精算してくれるシステムになっており、しかも、ホテルのどこにもマッサージ店の名称は掲げられておらず、外観上誰が見てもマッサージ店はホテルが経営する店であるものと誤解される状態だったと判断されたのです。従いまして、事業経営をする会社が、事業所の一部を他人に使用させて営業させる場合は、その他人の営業が事業経営者の営業であるものと誤解されないようにしなければいけないことになります。
ところで、障害を負った人はスクールバスの運転手でして62歳でした。平成24年17日に2泊の予定で旅行を楽しむために兵庫県高砂市から車で和歌山県内の温泉つきホテルに向かい宿泊しました。疲れをほぐす楽しい旅行が大変な災難にあってしまった不幸な出来事です。
木祖村コーナー
源流の味!とうもろこしふるさと便
編集後記
編 集 後 記
6月は、梅雨入りもあって、降雨の日が多いとされる。この梅雨入り、年によって早かったり遅かったり、様々な気象条件によって左右されるので予想も難しいようだが、過去数十年の実績を見ると、梅雨入りは早まる傾向にあり、梅雨明けは逆に遅くなる傾向にあるという。これも、地球温暖化のもたらす事象の一つであろうか。
ジメジメするのは、致し方のないところであろうが、気持ちは、ジューンブライドのように前向きで晴れやかに、愛情あふれるように保っていきたい。雨の日にもできることはあるはずであるし、雨の日に準備をしたことが、実をむすぶことも多いと思います。
梅雨の晴れ間には、強い日差しで気温もぐんぐん上昇し、熱中症に備えることも必要になるでしょう。熱中症予防には、熱中症の原因となる蒸し暑い環境を避けるのが一番ですが、仕事は空調のない高温環境下で行わざるをえません。脱水状態にならないよう、日頃の体調管理とこまめな水分と塩分の補給に気をつけたいと思います。
水分補給の主役は、「なごやの水道水」がおすすめ。前夜から冷やしておいたものを、保冷機能のあるマイボトルに入れて、現場などへ持参したいと思います。そのままの水道水も、もちろん良いが、少子は、3年ほど前から、「なごやの水道水」に煎茶の茶葉を入れた水出し茶を職場に持参し、これで水分補給をしている。この水出しした茶葉を取り出して急須に入れ、お湯を注ぎ温かいお茶として朝にいただいている。また、塩分補給の重要性も近年いわれているので、昔ながらの塩の効いた自家製梅干しを弁当にいれてもらっている家人には感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
先月18日、組合の第2回防災訓練に多数の組合員の方が参加された。ご多忙な中での参加は大変だったと思う。また、充実した訓練となるよう企画し、準備を担われた皆様のご尽力の成果が随所に現われていたと思います。参加者全員が、いざというときに地域へ貢献することの大切さを改めて確認することができたと感じます。この地域では、30年以内に大きな地震に見舞われる確率が50%近くになっているという。南海トラフに代表される海溝型巨大地震や活断層に起因する地震が、名古屋だけでなく全国の都市で、今日明日にも起こりうる日本列島の現実を素直に受け入れて、日々の備えと実際の行動を確認しておきたいと思います。
(E.Y)