『ラッセイラ~』第31回フォトコンテスト優秀 撮影:㈱日伸商会 永山 雅規 氏

『ラッセイラ~』第31回フォトコンテスト優秀 撮影:㈱日伸商会 永山 雅規 氏

史跡散策路

少彦名神社

山口 雄一郎 氏(水道組合)
山口 雄一郎 氏(水道組合)

 京町は、江戸の本町、大阪の道修町と並ぶ日本三大薬屋の町として城下町時代から栄えたところ。その数ある薬屋たちが「薬祖神」として大正4年(1915)に創建した神社。

 祭神の少彦名命と大国主命は、ともに健康をつかさどる神、薬の神として知られる。

 所在地 名古屋市中区丸の内二丁目2-24

会議コーナー

定 例 理 事 会

理事会風景(三役)
理事会風景(三役)

理事会風景(総務委員会)
理事会風景(総務委員会)

1.開催日時   7月5日(水)

           午後2時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   15名

青年部会コーナー

第136弾定期夜間勉強会

開催日 6月21日(水)

                                   参加者  19名

 技能開発部会・青年部会共催

 

 今回の定期夜間勉強会は日本光電株式会社様を講師にお招きして「AEDの基礎知識」というテーマで開催いたしました。

 前半はAEDの使用方法や使用上の注意を座学で学び、後半は心肺蘇生とAEDの実習を行いました。

 AEDの使用方法は電源スイッチを手前に引いてフタを開ければ、音声ガイドが流れるため、それに従えば良いので難しいことはないのですが、AEDは心室細動が起こった場合のみ使用することができるが、心臓が完全に止まっていると使用できないとのことでした。また心室細動が起こると心肺蘇生の可能性が1分ごとに10%低下していくが、救急車の到着は平均8.5分かかるため、いかに早くAEDを使用することが重要であるか説明していただきました。

 後半はグループに分かれ、人形を要救助者に見立て救命の手順を踏まえながら、AEDの実習をしました。要救助者を発見したら意識を確認し、次に呼吸を確認して両方なければ、まず心臓マッサージを開始して、AEDで電気ショックという流れでした。子供や妊婦、ペースメーカーを使用している人に対しての使用方法も人形をつかい分かりやすく解説していただきました。

 今後も、皆さまに役に立つ勉強会を開催していきますので、ご参加を心よりお待ちしております。

青年部会 東支部 阿部一道

特別寄稿コーナー

上下水道の思い出

古屋市上下水道局 経営本部 営業部

主幹  二村  俊介

 

  名水協組合員の皆様方には、日頃より名古屋市の上下水道事業にご理解とご協力を賜り、ありがとうございます。

  私の実家は、岐阜県郡上市です。郡上八幡からさらに山奥へ約20km分け入ったところにあります。観光で訪れる人は、「いいところですね。」と言ってくださるのですが、常住している者にとって、生活環境はお世辞にもいいとはいえませんでした。私が小学生だったのは昭和50年代ですが、下水道はなくトイレは汲取りでした。そういう環境でしたので、汚い話ですがハエがけっこう身近にいた印象があります。トイレにはハエ取り紙がぶら下がっていましたし、食事中もときどき飛んでくるハエを手で払っていたと記憶しています。そんなわが実家に転機が訪れたのは私が高校生の時。家を新築した際に、トイレが水洗になったのです。まだ下水道はなかったので浄化槽でしたが、生活環境は格段にアップしました。振り返ってみれば、あれ以来、わが実家でもハエをあまり見なくなったような気がします。

  一方、水道の事情はどうだったかというと、私がものごころついたときには、水道は既にあったと記憶しています。水のきれいな土地ですので、水道水が臭いとかまずいといったことはなかったのですが、寒冷地ですので、冬はときどき水道が凍ります。蛇口をひねれば出るはずの水が、凍りついて出ないということが何度かありました。また、凍らなくとも出る水はとても冷たく、給湯器もありませんでしたので、母はさぞ大変だっただろうと思います。私が小学校4年生か5年生のとき、実家にもガス湯沸器が取り付けられ、台所の洗い物はずいぶん楽になりました。子供だった私が洗い物の手伝いをさせられるようになったのは、言うまでもありません。ちなみに、風呂は薪で焚いていました。

  こうして振り返ってみると、水道にせよ下水道にせよ、快適で衛生的な生活環境のためになくてはならないインフラだと、つくづく思いますし、そんな大事なインフラを支える仕事をしていることを誇りに思います。そして、私たち上下水道局とお客さまの間をつないでくださっている名水協の会員のみなさまに、深く感謝する次第です。今後とも、貴組合と上下水道局との協力関係がますます発展することを祈念し、筆をおきます。

筆の泉コーナー

怖い絵

名古屋市上下水道局 施設部 東部柴田水処理事務所

所長 大堀 信行

 

 私の趣味の一つは、展覧会を観に行く事です。今年も様々な展覧会が開催されますが、今年は、兵庫県立美術館(7月22日~9月18日),上野の森美術館(10月7日~12月17日)で、開催される「怖い絵」展に注目しています。

 本展覧会の代表作は、ポール・ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵)です。ジェーン・グレイは、「9日間の女王」の異名を持つ女性で、16世紀中頃、イングランド王ヘンリー8世の姪の娘として生まれ、権力を巡る争いから即位させられたものの、在位わずか9日間で廃位され、わずか16歳で斬首刑に処された悲劇の女性です。

 作品では、「目隠しをされたジェーン・グレイが、白髪交じりのロンドン塔管理長官に導かれ手探りで首置台を探している。その横で、処刑人は、縄と短剣を腰につけ、斧の柄に指先をそえている。二人の待女は、悲しみにうちひしがれて、左側の柱にもたれかかっている。」という冷酷・非情な場景が描かれており、筆舌に尽くしがたい恐怖を感じました。

 地下牢での処刑として描かれていますが、実際にはロンドン塔中庭の隅のタワー・グリーンと呼ばれる一角で断頭が行われています。

 20年程前にロンドンを旅行した折、ロンドン・ナショナルギャラリーで、この作品を見て驚愕を覚え、彼女が処刑されたロンドン塔に行きました。

 ロンドン塔は、政敵や反逆者の処刑が繰り返し行われた処で、今でも亡霊が出ると言われています。ロンドン塔の中は、城壁に囲まれ、まさに中世の雰囲気でした。彼女が処刑された中庭の一角は、20年前は殺風景でしたが、最近、芝生の上に真新しい記念碑が立てられたようです。

 歴史を振り返る時、その時代の出来事を描いた絵画は、その出来事が起こった場所に行くより、強烈な印象を残してくれます。絵画を通じて現実から離れ、絵画の世界について考える。展覧会に行った時には、そんな時間を楽しんでいます。

 尚、西洋絵画に秘められた怖さについては、中野京子氏が、「怖い絵」という著書を何冊か執筆されていますので、興味のある方は、是非ご一読を。

お知らせコーナー

名水協工事店さん御一行、水の歴史資料館へようこそ

名古屋市上下水道局 総務部 調査課 

水の歴史資料館 大舘 学

 

 水の歴史資料館は、名古屋市が給水開始100周年を迎えた平成26年9月に開館しました。名古屋市の上下水道の歴史や防災についてわかりやすく学べる施設で、鍋屋上野浄水場の南約1キロ、東山配水場の隣にあります。開館3年となりましたが知名度不足で、組合員の皆様の中でも来館したことのない方が大半だと思います。今回はそんな工事店の皆様にお得な情報をお伝えしたく、紙面を借りてPRさせていただきます。

 資料館は4つの展示室に加え、今春創設期の鉄管の屋外展示も加わりました。第一展示室は、尾張藩城下にあった木樋の「巾下水道」と水道創設期の歴史や浄水処理について展示しています。第二展示室は配水の仕組みや給水・料金制度など、第三展示室は日本で初めて採用された活性汚泥法など下水道の歴史についての紹介です。第四展示室は、大雨や地震対策をはじめとした防災についての取組みを紹介しています。

 さて、ここから水の歴史資料館の上手な利用方法についてご紹介させていただきます。

①上下水道に関する社員研修施設として

 上下水道の第一線で仕事をしてみえる組合員の皆様の中には、水道・下水道の基本的な仕組みについて学んだことのない方もみえるかと思います。当資料館では水道・下水道の歴史に加えて、浄水・給配水・下水に関する説明・解説が受けられます。少人数から受け付けていますので、来館時に声をかけてください。特に新入社員の皆様に上下水道事業の仕組みを学ぶ入門編としてご利用いただければ即戦力となること間違いなしです。

②地域活動のための防災体験施設として

 工事店の中には地域防災の構成員として活躍中の方も多く、また近年、名水協としても当局の防災の取組みに協力いただいています。資料館には地下式給水栓の操作やマンホールトイレの設置を実地に体験できる施設がありますので、第4展示室と合わせて活用いただければ、地域の自主防災に生かすことができると思います。

 最後に、工事店の皆様にお願いがあります。水の歴史資料館では、歴史を振り返る古い給水器具や工具など上下水道にかかわる物品を集めています。倉庫に眠っている貴重なお宝を寄贈していただける方は是非ご一報ください。

 お知らせ;水の歴史資料館では、9月8日(金)~10月1日(日)、「昭和の水まわり」と題して3周年の企画展を開催していますので、一度ご来館ください。

問合せ電話;052-723-3311 水の歴史資料館 大舘

水の歴史資料館外観
水の歴史資料館外観
館内にあるマンホールトイレ        応急給水施設、地下式給水栓(左から)
館内にあるマンホールトイレ        応急給水施設、地下式給水栓(左から)

談話室コーナー

旅の思い出

西支部・㈱フタムラ建材店

寺西 繁

 

 「夏が来ればおもい出す」と自然に口ずさむ有名な歌、尾瀬、大江湿原、福島県がニッコウキスゲの大群落が見られる雄国沼が名所だとご存じない方も多いかもしれない。去年7月にご近所のご夫婦とツアー旅行に参加しました。

 高層湿原としては日本有数の面積を誇り、手つかずの状態で湿原が保存されている尾瀬湿原。

 栃木県側の国道401号から離れ山道で終点、車両行き止まりで観光バス下車しハイキング気分、大江湿原まで雪解けが進むと水芭蕉咲く春から、ニッコウキスゲが咲く夏になると景色が一変する。濃い青をたたえたのびやかな高原の空、見渡す限りに群生する大スケールの黄色、生気みなぎる深緑の草木。大自然のコントラストは言葉を失う美しさ。尾瀬の中でも特に有名なのが大江湿原だ。整備された木道を渡りながら散策、ニッコウキスゲが密集しているため、花のじゅうたんはより鮮烈な色味に見える。山荘で休憩、休憩時に食べたアイスクリームの味が忘れられない、帰り道は、栃木県側の会津街道入口集落のバス駐車場まで山道や沢で下山した。地面が濡れていたため足元が悪く滑りやすく困難極めた思い出。

 尾瀬と同じような地形で周囲を山でかこまれた湿原にニッコウキスゲ群落が広がるのが雄国沼。一歩湿原に入ればそこは別天地。「神様が山で隠したのでは」。あまりの美しさにそう信じたくなる秘めやかな箱庭の趣だ。雄国沼も湿原内に木道が整備され平坦な道なのでゆったりと散策が楽しめた。

 訪れた二か所とも日本にこんな素晴らしい場所があるのかと、あまりの素晴らしい絶景にただただ驚き圧倒されました。今でも目の奥に焼き付いていて今年も夏になると思い浮かびます。

 福島県のニッコウキスゲは、今年も旅人に幸せを運ぶべく開花しているにちがいない。

 

花メモ ニッコウキスゲ

 朝に開花して、夕方しぼむ一日花6枚の花弁がラッパ状に咲く。直径7㎝程度日光で多く咲くためこの名が付けられた漢字で「日光黄管」とも書く。

 黄色い大群落に心洗われれば、ニッコウキスゲの花言葉「日々あらたに」もそのままに気分一新軽やかに。

消防コーナー

地震に備える 15

名古屋市消防局OB 近藤 博

明治24年(1891年)濃尾地震(11)

 引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等から地震直後の実情をみていきたいと思います。

 なお、特段の記載のない「」内文章は、報告書が採用した『岐阜県史資料編近代1』からの引用になります。

 

○ 岐阜県の場合(その7)

13 大垣町の地震発生直後の状況

 大垣町の場合は地震発生に伴う家屋の顛倒(てんとう)はいうまでもないが、この地域は地下水が豊富であったために「大地裂テ水ヲ噴出」し、また「各所ニ火災起リ災煙天ニ張リ」という状況であった。鈴木郡長と大垣警察署長は協議して「人命救助ト火災消防ノ事ハ素ヨリ警察事務ニ属スル」けれども各所に派遣する巡査が不足しているとして、当時大垣に滞在していた力士「若湊、小柳ノ一行凡ソ八十人ヲ諭シ、亦監獄支所ノ囚徒五十人ヲ借リ之ヲ各組ニ分チ、警部、巡査等之ヲ指揮シテ」人命救助と消防に当たらせたと述べています。

 なお、明治24年当時の大垣は安八郡内の一町でした。

 

 大垣では、家屋の倒壊、火災の発生等の被害に加え地下水の豊富な地域の特性として、「大地裂テ水ヲ噴出」という現象も発生していたようです。

 ここでも、救助活動・消火活動の人手が足りないとして、たまたま巡業途中で大垣に宿泊していたと思われる力士一行と、監獄支所に収容されていた囚人まで動員して活動に当たらせています。

 力士らは、人命救助・防火・救助米の運搬に携わり、彼らによる家に閉じ込められた被災者の救済は200~300人に達したといわれます。中でも楯甲という力士(大関ないし関脇)は、被災者救助中に落ちてきた梁により死亡したが、彼が落下した梁を受け止めたことによって老女が助かったという美談も伝えられています。(『濃尾震誌』)

 他方で、力士らは素人であり効果的な消防活動はされていなかったとの指摘もあります。(『濃尾大地震の教訓』復刻版,岐阜県教育文化財団歴史資料館,平成8年)

 いずれにしても、人手不足のなかで力士らが消防活動・救助活動に大きな貢献をしたのは間違いないようです。彼らは、その後その活動を賞賛され、金品を与えられ桑名港に向かっています。

 

14 岐阜市と大垣町の被害比較

 被害状況について残されている記録は、岐阜市のものが多いのですが、それは岐阜市が県庁所在地であり行政の中心だったため、記録する者が多かったことにも理由があると思われます。

 実際の被害態様は、被害記録を仔細に見る限り大垣町も大きな被害を受けています。

 岐阜市と大垣町の被害を、死傷者及び住家等の被害に限定して一覧表で示せば、下記のとおりです。

 なお、下記出典は複数の資料データを掲載していますが、数値についてはそのうち最大数値を掲載しています。

(1)岐阜市の被害状況

死者・行方不明者

負傷者

住家全壊

住家半壊

253

1,260

1,080

3,024

非住家全壊

非住家半壊

家屋焼失

被災人口

269

369

3,006

1,505

(2)大垣町の被害状況

死者・行方不明者

負傷者

住家全壊

住家半壊

789

1,270

3,356

962

非住家全壊

 非住家半壊

家屋焼失

被災人口

757

192

1,473

2,059

 なお、明治24年当時の岐阜市・大垣町の人口・戸数は下記のとおりです。

・岐阜市  人口25,676~28,731  戸数5,852~6,346

・大垣町  人口17,516~18,306  戸数4,474~4,597

(出典 「明治24年(1891年)10月28日濃尾地震の震害と震度分布」愛知県防災会議地震部会 飯田汲事 昭和54年3月 P160 P182)

(3)被害の特徴

 大垣町は、死者・行方不明者及び住家全壊数では岐阜市の3倍以上、被災人口では岐阜市より人口が少ないにもかかわらず大垣町の方が多くなっています。

 岐阜市は、家屋焼失数では大垣町の2倍以上、住家半壊数では3倍以上の被害を受けています。

 人口に対する死傷率では大垣町が11.24%~11,75%に対し岐阜は5.26%~5.89%、住家の全壊率は、大垣町が59.81%~73.0%に対し岐阜市は12.26%~15.27%と大垣町の方が被害を受けた率が大きくなっています。

 逆に家屋の焼失率では大垣町が32.0%に対し岐阜市が47.36%と、岐阜市のほうが多くなっています。数字がはっきりと、岐阜県の二つの中核市町の被害の違いを表しています。

 岐阜市の地震後の火災による被害の大きさを見ると、街がある程度都市化されてくると地震動による被害と併せて事後の火災に対する備えが極めて大切だという事を教えている事例だと思います。

 その端的な例が、濃尾地震から32年後(1923年)に発生した関東大震災ではないかと思います。

法律コーナー

遺言能力がなかったとして公正証書遺言が無効になった事例

  弁護士   松 永 辰 男

 

 私たち、少なくとも私としては公正証書による遺言の場合は間違いがないものと一般に自信をもって勧めていますが、その公正証書遺言が無効になっては大変なことです。公証人には、裁判官や検察官を経験した人たちが就任しており、公正証書等の文書の作成には中立的な立場で法律違反がないよう慎重に調査をしており、間違いなどあり得ないものですが、アルツハイマー型認知症の遺言者の遺言を、遺言の意思能力がなかったとして無効とした判決がありました(東京地裁平成28年8月25日判決・判例時報2328号62頁)。

 この裁判では、遺言者の遺言能力について、公証人の判断と医師の判断のいずれが正しかったかということが問題になり、結論としては医師の判断が正しいものであると裁判所は判断しました。医師の見解は、遺言者が遺言時において、自己の財産を認識できること、相続人を想起できること、それぞれの関係を認識できることは必要ではあるが、これは遺言するにあたっての必要条件に過ぎず、実際にはこれらの複数の情報を同時に想起し、質の異なる情報を比較して合理的な結論を導く機能が不可欠であるにもかかわらず、遺言者にはそうした精神的作業を行う能力はなかった、と証言しているのです。

 他方公証人は、確かに遺言書を作成するに当たり上記医師の診断書は見ているが、その診断書には「物忘れを自覚しており、物忘れのエピソードを自ら語ることができた。」との記載から判断するとかなり高度な認識能力がなければできないと思うし、「自己の相続人名前を想起でき、不完全ながら自己の資産の概略を想起することができた」や、「甲野家の資産を守るために養子夫婦にまとめて相続させたい、という意思を明示していた」との記載も遺言能力があると思わせるものである。更に、遺言者と面談を行い、その際の様子から、物忘れを自覚しても遺言者には遺言能力があると考えたこと、更に、弁護士(遺言者側の弁護士であるが)の作成した補足説明書を参照してもなお、遺言能力があると判断しました。しかし裁判官は、物忘れの自覚はかなり高度の認識能力がないとできない、との前提は医学的根拠が全くないと認定し、公証人の判断を否定しました。

 そもそも遺言は高齢になってから作成する例が多く、認知症の人の遺言になると大変なことになってしまします。頭のしっかりしているうちに公正証書遺言をする必要があります。

木祖村コーナー

木祖村・夏の味覚 とうもろこし & 完熟トマト!!

編集後記

編 集 後 記

 先月は、台風及び前線付近の大気が不安定になったことで連続した豪雨となり、「特別警報」が発令された地域を中心に甚大な被害が生じた。記録的短時間大雨情報や線状降水帯という言葉もすっかり日常のものになってしまった。アジア東端の列島では、いつ、どこでも災害は起こりうることを自覚し、自分の周辺に起きていることであるとの意識を持ち、地域と自分自身の防災意識の向上に努めてまいりましょう。

 さて、この夏は猛暑との予想であったが、少しは低めに外れることを願いたい。地球全体の気温の上昇傾向が続く中で、自分だけがということは難しいが、少しでも涼しく暮らすにはどうするか。

 

 以下に、猛暑対策を書き連ねてみたい。

 対策その1: 自然の風を取り入れるのが一番よいのだろうが、猛暑の日は無風のことも多く、また窓を開け放すこともあまりできないことも多いかと思う。そこで、エアコンの使用に加えて扇風機やサーキュレーターを使用し、空気の循環を起こし、体からの放熱を助けるようにしたい。最新型のエアコンでは、気流や湿度のコントロールがきめ細やかに行われるそうであるので、その仕組みには精通したい。

 対策その2:視覚に訴える。暖色と寒色という言葉がある。室内にも青緑系統の色で涼やかさをとりいれたい。テーブルクロスを夏向きの色や素材のものに変えるだけでもずいぶん涼やかに感じられることであろう。

 対策その3:食べ物で体を冷やす。程よく冷えた飲料で急冷するのが一手と思うが、飲み過ぎて身体に悪影響を及ぼさないようほどほどを心掛けたい。食物にも体を温めるものと冷やすものがあるそうで、この季節は、その性質をよく知って上手に取りたいと思う。体を冷やす食べ物の代表として、ナス、トマト、キュウリがあげられる。ハウス栽培の技術進歩により今では年中出ているが、元々は日光を求める夏の野菜であるので、旬のものは大いに摂るようにしたい。

 対策その4:早寝早起きも有効と思う。このことは、加齢の進行に伴って苦も無くできるようになった。結果として、比較的涼しい時間帯で業務を片付けることができるはず。少し前には、省エネ推進にも効果ありということでサマータイム(勤務時間の前倒し)が検討されたこともあった。首都圏では、せめて通勤の混雑を緩和しようということで「時差ビズ」も始まったと聞くが、コンビニの一層の普及やITの推進によって夜間働く人やフレックスタイムで働く人も多くなり、昼夜の区切り自体が益々あいまいになっていくようだ。

 

 そろそろ真打の対策を述べたい。

 日本の夏に欠かせないのは、お風呂であろう。高温多湿の気候下での入浴習慣は日本の文化として定着している。汗を流し、清潔を保つ。一日の疲れをいやす水圧の効果。発汗を促し、代謝を活発にさせる。夏場は、ぬるめのお湯を張った湯船に少し長めにつかり心身をリフレッシュする、など入浴の効用は大きい。入浴の前後には、なごやの水道水でからだをうるおし、猛暑の季節を元気に乗り切りましょう。

(E・Y)