『正伝池』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:櫻井工業㈱名古屋支店 加藤 伸江 氏
史跡散策路コーナー
愛知県護國神社
山口 雄一郎 氏(水道組合)
明治元年(1868)の戊辰戦争戦没者を、明治2年尾張藩主・徳川慶勝が奉祀したのに始まる。
社名は旌忠社(せいちゅうしゃ)、招魂社(しょうこんしゃ)、愛知神社、愛知県護國神社と改称され、場所も広小路町川名山、城北練兵場(現在の名城公園内)から現在地へと変遷した。県下の全戦没者を合祀している。
例祭は春のみたま祭り(4月28日から3日間)、秋のみたま祭(10月28日から3日間)。
所在地 中区三の丸一丁目7-2
会議コーナー
定 例 理 事 会
理事会風景(資材委員会)
理事会風景(業務管理委員会)
1.開催日時 9月6日(水)
午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 17名
1.出席理事 17名
お知らせコーナー
水源地見に行き隊!!
開催日 8月6日(日)
場 所 長野県 木祖村
参加人数 77名
毎年恒例の、長野県 木祖村へ行ってきました。
木祖村は、名古屋の水道水である木曽川源流の地です。「水源地見に行き隊」は、その地を訪れ様々な活動を行い、その中でいつも普通に水道水を飲んでいるありがたさ、大切さを知っていただくために何年も継続している事業です。
開催の1週間前まで、とうもろこしの成長が間に合わず、メインイベントであるとうもろこし狩りができるかどうか心配されましたが、木祖村の皆様の臨機応変な対応により、別の畑で急遽行えるということになり一安心。
当日は晴天に恵まれ、日陰に入り風が吹けば涼しく思える最高の天気でした。
こだまの森に到着後、唐澤村長に挨拶をしていただきとうもろこし狩りへ。子供達が両手いっぱいにとうもろこしを持ってくる姿を見て、とうもろこし狩りが無事開催できて本当に良かったと思いました。その後、岩魚の掴み取りへ。魚が元気に泳いで逃げまわる中、子供達も負けずに追いかけて魚を捕まえていました。そんな楽しい時間を過ごしている一方で、とうもろこしの皮をめくる作業を4人でやっていましたが、これが大変!暑い中、汗をかきながらなんとかやり遂げました。
お昼になり、BBQへ。採れたてのとうもろこしと岩魚も食べることができ、皆さん余程お腹が減っていたのか、お肉・岩魚・おにぎりが、あっという間になくなり、急遽おにぎりを追加する事態となりました。会員さんとそのご家族との交流も深まり、有意義でとても楽しい時間が過ごせた活動だったと思います。
これからも、皆様に楽しんで頂ける企画を頑張って計画していきますので、興味のある方はぜひ参加してください。
青年部会 千種支部 宮崎智久
お知らせコーナー
第32回フォトコンテスト
恒例となりました、フォトコンテストを実施しますので、どしどしご応募ください。
内 容 組合だよりの表紙を飾るにふさわしい写真をお待ちいたしております。
作 品 カラー(横撮り)
応募方法 右上の【詳細】の応募用紙を印刷して必要事項を記入の上、
写真を添えて提出して下さい。(郵送可)
メールでも応募を受け付けさせていただきます。
※応募用紙を保存して必要事項を入力し写真を添付して、
件名に【フォトコンテスト】と記入して送信して下さい。
メールアドレス:[email protected]
賞 金 最優秀 3万円 1作 優秀 1万円 1作
委員長賞 1万円 1作 入賞 5千円 9作
締 切 平成30年1月12日(金)到着分まで
発 表 組合だより平成30年4月号
青年部会コーナー
第138弾定期夜間勉強会
開催日 8月16日(水)
参加者 17名
技能開発部会・青年部会共催
今回の夜間勉強会は、あんしん社会保険労務士事務所の岡本様を講師にお迎えし「社会保険について勉強しよう!!」という内容で実施しました。
社会保険について、まだ知らない事やわからない事など基本的な所から教えていただきました。
まず社会保険の定義として広義・狭義が存在して、労働保険・健康保険・厚生年金を広義と定義し、その中の労働保険・健康保険を狭義と定義すると教えていただきました。社会保険未加入問題は当初、狭義のことを指していましたが、現在では広義まで含めて考えているようです。
また、助成金制度についての質問が参加者から多く寄せられ、講師の先生も時間の許す限り、事例を踏まえて丁寧に解説して下さいました。
今回の勉強会は普段の勉強会と一味違った内容でしたが、非常に為になる勉強会になったと思います。
最後になりますが、今後も様々な勉強会を開催していきますので、組合員の皆様のご参加を心よりお待ちしております。
青年部会 中川支部 長田元浩
特別寄稿コーナー
新たな「選択」への対応
名古屋市上下水道局 経営本部 営業部
瑞穂営業所 副所長 魚岸 勝則
今年の4月に天白サービスステーションへ異動になりました。
11年ぶりに営業部へ戻ってまいりました。その間に営業所の再編もあり、当初は若干の戸惑いもありましたが、最近ようやく馴染んできたところです。
さて、最近読んだ本※ の話なのですが、商品やサービスを購入する際に、売り手と買い手が同じ空間や時間を共有しなければならないという「同時性」が、スマホなどのモバイル端末の出現により今後ますます解消されていくそうです。具体的にはお店での“対面”販売やコールセンターへの“電話”などを指していますが、近ごろ話題になっている宅配サービスの再配達の問題でも、ネット購入における商品の最終的な受け取りに宅配業者と消費者の対面(在宅)が求められるという「同時性」を解消することが必要とのことでした。
ひるがえって営業所の業務を見てみますと、まだまだお客さまからの“電話”による受付が主となっています。その意味で「同時性」解消の余地は大きいと言えますし、今後はさまざまな業務の受付・処理がネットで完結するように業務のあり方を検討していく必要があると思われます。このようにお客さまのニーズに対応していくのは当局としても大切なことなのですが、一方で、社会一般のコミュニケーションのあり方としては、空間や時間の「同時性」がひたすら回避(忌避?)される社会には少し寂しいものを感じます。
ただ、その本にはこうもありました。<「同時性」の解消により節約的な時間価値をひたすら追い求めていく一方で、逆に第三者との対面や体験などの「同時性」を自ら求めて、創造的な時間価値を高めていく動きも活発になっていく…。>
そうした動きが実際に感じられる場面があります。昨年の熊本地震の影響もあるのでしょうか、天白区の総合防災訓練や各学区の自主防災訓練には多くの市民の皆さんが参加されます。地下式給水栓の操作訓練において市民の皆さんと当局職員が交わすやり取りを見ていても、防災意識の着実な高まりを感じます。それは単に防災に関する知識を得るだけでなく、災害に備えた人的なネットワークづくりに積極的に参加し、地域の人たちとともに体験するという創造的な時間価値を選択するものと言えるかもしれません。
当局としましても、地域に根差した名水協組合員の皆さまのご協力をいただきながら、こうしたお客さま、市民の皆さんの意識や選択に対して積極的に応えていきたいと思います。組合員の皆さまには今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします。
※宅配がなくなる日 同時性解消の社会論 松岡 真宏・山手 剛人 日本経済新聞出版社
筆の泉コーナー
卓球の魅力
名古屋市上下水道局 施設部 南部宝神水処理事務所
処理第一係長 鳥 飼 正 幸
「卓球」は近年、オリンピックや世界選手権でメダルを獲得するなど日本代表のレベルが高くなってきたこともあり、TV放映される機会が増えてきている。また男子では張本選手、女子では伊藤美誠選手、平野美宇選手、早田ひな選手など、若手の台頭が著しい。
さらに、昨年のリオデジャネイロオリンピックにてシングルスで水谷隼選手が銅メダルを獲得してからは、卓球選手のバラエティー番組への出演が増えてきている。
私は中学で卓球部に入り、現在も卓球を続けている。卓球は、やればやるほど楽しく、奥が深く、魅力的である。そんな魅力的な卓球を、子供にもやって欲しい…という思いで、卓球教室をいろいろ探したが、人気でどの教室も定員いっぱい…空きができるのを待って、なんとか通わせることができた。そんな「卓球」の「魅力」について、書いていきたい。
卓球は、わずか2.74mの台で、直径40mmのプラスチック製ボールを打ち合う球技である。対戦相手との距離が近いので、迷っている間にボールは自分の手元に来てしまい判断が遅れてしまう。そのため、ラケットの角度やスイングの方向・強さの微妙な違いが得点、失点の分かれ目となる。また相手との距離が近いことから、心理状況を表情から読み取りやすく、精神面での駆け引きも生まれる。同じような実力同士での戦いでは、ほんの些細な精神面での変化で勝負が決まってくる。
卓球では、様々な打法から様々なボールが繰り出される。回転の方向・強さ、スピード、コース…無数にある。その様々なボールの種類を瞬時に認識・判断し、打球しやすい場所まで移動して、ラケットの角度、スイングの方向・強さを決めて打ち返す…0コンマ何秒で判断すべきことが多く、頭もかなり使う。
卓球はラリーが続くのがとても楽しい。長いラリー戦を制して得点したときは、快感である。応援しているチームメイトや観客も盛り上がる。ラリー戦は卓球の醍醐味である。
卓球は練習した分、上達しやすいスポーツである。私は、卓球以外の球技は全くダメであるが、卓球だけは練習量で、なんとかカバーしてきた。
また、卓球を通じて様々な人と出会えた。老若男女問わず、仲間が広がった。その仲間と練習や試合の後に反省会と称して飲みに行くのがまた楽しい。酒を酌み交わしながら、練習や試合でのある一場面を振り返って盛り上がる。出会いは貴重な財産だと思う。
卓球は、比較的運動量が少なく、生涯スポーツとして続けることもできる。年代別の試合も数多くある。
私はこのような魅力的な「卓球」に出会えてよかったと思う。今後も卓球を続け、様々な試合に参加し、卓球仲間を増やすとともに、より高いレベルの大会で活躍できるようになりたい。
さて、皆さんには、「卓球」の「魅力」が、少しは伝わっただろうか…??卓球教室へ通い始めた子供は…3か月で卓球教室をやめてしまった…子供にも、いつか「卓球」の「魅力」が伝わり、親子で楽しく卓球ができることを夢見ている。
談話室コーナー
私の趣味
中支部・須賀工業株式会社
等々力 靖幸
突然ですが、皆様の趣味は何でしょうか?
ゴルフ、ドライブ、読書…と様々な趣味をお持ちだと思います。
私の趣味は写真撮影です。
きっかけは、私の父でした。私の実家は長野県の安曇野市に有り、美しい山々に囲まれた場所です。父はそんな山々に魅せられ、休日になってはよく山登りに出かけ、山岳写真を撮影していました。又、家族写真も良く撮影しており、長野の実家には何冊にも及ぶアルバムがあります。
私は幼い頃から写真に囲まれた生活を送っていたこともあり、自然と写真に興味を抱くようになりました。初めてカメラを触ったのは私が小学生の時です。その頃はまだデジタルカメラが無く、フィルムカメラでした。父のフィルムカメラを手に取り、ファインダーを覗くと、いつも見ているはずの風景が全く別物に見え、とてもおもしろく感じ、すぐに虜になりました。
中学、高校、大学と進学し、ますます写真にのめり込み、大学生になった頃には、写真部に入る程になっていました。写真部では、カメラの仕組みや現像の方法等、技術的な事から、写真の構成といったテクニックの部分まで多くのことを学びました。又、写真部員と共に個展を開き、写真を楽しみ合いました。 大学卒業後、社会人となり、父とは度々写真撮影の為に旅行へ行っています。最近では長野県の上高地へ赴きました。上高地の大自然に圧倒されながら、写真を撮影し至福の時間を味わいました。
写真の面白さとは何か。それは時間を止めることができる事だと思います。普段なら流れていってしまうような些細な時間でも、写真に残せば、その時間を止め、記録として残せるのです。先にも書きましたが私の実家には家族写真のアルバムが数多く残っています。その写真の一枚一枚が、普段なら過ぎ去ってしまうような時間でも、しっかりと時間を止めて残っているのです。とても素敵なことだと私は思います。
私は去年結婚し、現在妻と二人で生活しております。妻とは度々旅行に出かけ、その都度写真に収めています。いずれは家族が増えることがあるかもしれません。その時は父のように、一瞬一瞬を写真に残し、たくさんのアルバムを残したいと思っています。
消防コーナー
地震に備える 17
名古屋市消防局OB 近藤 博
明治24年(1891年)濃尾地震(13)
引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891
濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等から地震直後の実情をみていきたいと思います。
○ 岐阜県の場合(その9)
今回は、情報伝達手段が限られており、未だ近世の世相を色濃く残していた時期に発生した、濃尾地震後に流布した世間の噂・流言飛語について述べ、岐阜県の項を終わりたいと思います。
17 流言飛語
突然の大地震による大災害に見舞われ、県庁をはじめ行政機関も大きな被害を被った上に被災者救済対策に忙殺される状況下、広報・伝達手段が限られていた明治24年当時には、はじめから行政機関が住民に的確で正確な情報を提供することは不可能に近かったものと思われます。
そうした情報不足からくる不安から様々な流言飛語が生まれ、巷間を飛び交ったことが記録されています。
その一端を『濃尾震誌』は、次のように語っています。
『濃尾震誌』(片山逸朗編集、勝沼武一発行)は明治26年3月に発行されたもので、筆者の片山逸朗は岐阜市在住の県庁職員、彼に協力したのが岐阜県測候所長の井口龍太郎である。総頁241頁図版12枚と分量も多く、報告書では、内容は当時の資料や伝聞をもとにしたものですが、かなり正確なものであるとしています。
なお、井口龍太郎が所長をしていた岐阜県測候所は、明治27年4月に『明治二十四年十月二十八日 大震報告』という書物を出版しています。
報告書がしばしば引用している『大震報告』は上記の出版物のことです。
「大振動以来三日間は、民心恐々として尚如何なる災害来るあらんかと憂ひ、皆屋外に露宿せる折柄、往々流言飛語を放って良民を蠱惑(こわく)するあり。依(より、又はよっ)て警察官は直に其飛語をなす者を諭止し、或は市中要所に掲示して容易く流言に動かされざらんことを諭告する等、勉めて人心を安んせしむることを計れりと」(ふりがな、句読点 筆者)
この著述が正しいとすれば、岐阜市内では様々な流言飛語が飛び交っていたことになります。
その流言とは何かといえば、大鯰が破裂した大地から飛び出してきたとか、地震の最中に「世直し」と叫んだとかが報告されています。地震と鯰、地震と「世直し」とを結びつけるのは近世以来の伝統的な民衆の意識であるとしています。
また、各務原の旧旗本、坪内高国が聞いた話として、稲葉山麓に出来た火葬場を山の神が嫌って岐阜市内を焼き払って焦土にしたとか、岐阜市中の人を殺そうとして風に向かって火が走ったとか、あるいは県庁移転の噂や無一文の被災者を北海道に移住させて岐阜村や大垣村をつくる、といった流言があったと記しています。(『濃尾大地震の教訓』復刻版 岐阜県教育文化財団歴史資料館 平成8年)
報告書では、県庁移転や貧窮者の移転の噂は、全くの荒唐無稽な話ではなく、ありそうなこと、又はある種の期待が流言という形をとって広まったのではないかと述べています。
18 流言と社会不安
流言の中には、荒唐無稽な内容のものもありましたが、実際の火事や盗難に結びつけた流言も有ったことから、社会不安を一層醸成するものとして、治安当局は流言飛語の取り締まりに神経を尖らせていたようです。
『濃尾震誌』は、更に次のように指摘しています。
「又罹災者、居を東西に移すの際往々盗難に罹(かか)るものあり、又放火を為す者ある等の巷説頻々(ひんぴん)として起こり、巳(すで)に人心恐々たるの折柄、又一層恐懼(きょうく)安んぜざるの有様ありしを以て、各警察署分署に対し此際人心鎮静と盗難予防とを専(もっぱら)とすべき旨を示達せられ、岐阜市の如きは罹災者の多く集合せる処又は交通頻繁なる処二十一ケ所に立番巡査を配置して、昼夜間段なく警戒防護に従事せしめ、尚ほ臨時消防隊を編成して一時間ごとに巡回し非常を戒しむることとなりたる」(ふりがな、句読点 筆者)
また、11月8日付け『扶桑新聞』には、竹ケ鼻町の状況について次のような記事を掲載しています。
「竹ケ鼻町は笠松にも増す惨状を呈し、(略)遭難地の常とは云ふものの同地は分けて盗難多く、人民は終夜鉦(かね)や太鼓鳴らし盗火を戒むるの厳なるより、無灯火のものと見れば何人と論ぜず八方より集ひ竹槍棍棒なんどで撲ちすへ、又は捕縛するより夜行全く絶え、偶(たまた)ま止むを得ざるの用事あり外出せんとする者は警官の同行を請い」と記しています。(ふりがな、句読点 筆者)
岐阜市では巡査による厳重な警備がされていたようですがが、竹ケ鼻町では主に町民による警備で治安が維持されていた様子が窺えます。
この二つの例を見ると、こうした厳重な警戒が必要なほど、濃尾地震被災後の一時期には種々雑多な噂・流言が飛び交い、不穏な状況が存在していたことが分かります。
法律コーナー
民法の大改正 利率の変更
弁護士 松 永 辰 男
平成29年5月26日に民法の改正案が国会で成立し、同年6月2日に交付され、3年後の平成32年6月2日までに施工されることになりました。そこで今回は利率の変更についてお話します。今までは利息とか損害金の利率について契約などで取り決めがなかった場合は年5分とすることに決めています(民法第404条・ただし商法第514条では年6分としていますが)。従いまして債権者にとっては銀行金利よりもはるかに有利でして、払う身の債務者にとっては大変負担が大きな利率になっています。けれども、昨今における経済事情の変動においては、特にバブル経済の下では年5分は低い利率でしたが、今日の経済状況下にあっては年5分とか6分の金利は高額すぎまして、現実とかけ離れてしまいます。そこでこの度の民法改正により利息とか損害金の定めをしなかった場合は年3分とすることに改正し、商法の年6分の定めもなくすことにしたのです。
しかし、それでも経済状況が変動し、3分の利率でも相当でないことになる恐れがありますので、いつまでも年3分というのではなく、経済事情の変更により年3分では釣り合いが取れないと判断された場合は、3年を一期として利率を変更することができることにしたのです。
ところが3年ごとに利率が変更された場合、各期毎に割合が変動していますから、前期の割合と、改正した当期の割合の差額が発生することになりますが、その場合は前期の割合に、当期の増減した差額を加算したり、減算することで調整することにしました。ただし、変更割合に1パーセント未満の端数が生じた場合は、その端数を切り捨てることにしました。このような面倒なことを避けるためには利率の約束をしておくことです。
しかし、交通事故などによる損害賠償などについては利率の定めがないわけですので、上記のような面倒な計算が必要となります。
木祖村コーナー
秋の旬な情報
編集後記
編 集 後 記
秋の彼岸を過ぎるとさすがに空気もひんやりと感じられ、大気の透明感も増したように思われる。月のない晴れた夜には、ぺガスス座の四辺形を見つけてみたいし、中秋の名月など月夜を愛でる余裕も持ちたいと思う。
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな 紫式部(久しぶりに会えたのに、見たかどうかもわからないくらいに雲に隠れてしまう夜更けの月のように、あなたも、あっという間に帰ってしまいましたね。)
巡り合った対象は、同性か異性か、外見が変貌して本当に分からなかったのか、分かってはいたが、気恥ずかしくて声をかけることもできなかったのか、あるいは認知機能が低下して誰だったのか思い出せなかったのか、前段だけでも想像がふくらむ。後段は、わたしには、月日があっという間に過ぎ去っていかないように、限られた時間を大切に、日々を充実させるべし、との警句にも聞こえる。
10月からは年度の後半でもあるので、前半期で十分できなかったことを少しは整えながら、年末が近づいて焦ることが少なくなるよう、できることは「今、しましょう」という気持ちを保ちながら秋の日々を過ごして参りたい。
さて、先月中旬には、日本列島を台風18号が通過した。鋭い刃先を意味するタリムという名の台風は、この地域については、かすり傷程度で済んでいるようだが、九州、四国、北海道など深手を負われた地域もある。お見舞いを申し上げ、早く日常を取り戻されることを祈りたい。また、海を隔てたメキシコや列島の至る処での地震のニュースもいくつか。普段の生活の中にも、地震に備える気持ちと具体的対策を積み重ねてゆきたいと思う。
今年7月には、災害用備蓄飲飲料水「名水」のボトルデザインが一新され、保存期間と容量も向上した。飲料水の確保は、災害への備えの基本中の基本であるので、この機会に、我が家の備蓄状況も確認し、不足しているようであれば補充しておきたい。
9月には、市の総合防災訓練への参加など地域の防災訓練への参加協力をいただきましたが、10月も引き続き参加要請が多くあると思います。これから年末にかけ業務も繁多な時期を迎えるかと思いますが、やり繰りをしながら積極的にご参加をお願い申し上げます。
(E・Y)