『秋の小道』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱佐藤総合設備 佐藤 光明氏
史跡散策路
熱 田 神 宮
山口 雄一郎 氏(水道組合)
三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀ったのが神宮の起源で、社が鎮座されたのは景行天皇の末年頃(2世紀初め)とされる。古くから「熱田さん」と呼ばれ、6月5日の熱田まつり(尚武(しょうぶ)祭)で親しまれている。本宮、拝殿、神楽殿などのほか、別宮の八剣宮、摂社の上知我麻神社など、境内には摂社8、末社18が鎮座。歴史的建造物として、清雪門、西楽所、龍影閣、信長塀、佐久間灯籠、二十五丁橋などがある。宝物館には、刀剣、鏡など6,000余点があり、公開されている。
会議コーナー
定 例 理 事 会
理事会風景(総務委員会)
理事会風景(業務管理委員会)
1.開催日時 11月1日(水)
午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 17名
1.出席理事 17名
お知らせコーナー
第24回名水協支部親睦ゴルフ大会
団体の部 優 勝(北支部の皆様)
個人の部 優 勝(深澤 秀明 氏)
開催日 11月6日(月)
場 所 ナガシマカントリークラブ
参加者 81名
当組合恒例の第24回名水協支部親睦ゴルフ大会が三重県いなべ市のナガシマカントリークラブで開催されました。
当日は秋晴れの良い天気で絶好のゴルフ日和に恵まれました。来賓、賛助、各支部から大勢の方々に参加していただき盛大に開催されました。参加総勢81名が午前7時39分、第1組がスタートし競技が行われました。
プレイ終了後表彰式が行われ、団体の部は北支部が、個人の部は深澤秀明氏(中衛工業㈱)が優勝されました。
大会に参加された皆様お疲れ様でした。
《成績発表》
団体の部 支 部
優 勝 北 支部
準 優 勝 中村 支部
3 位 中川 支部
個人の部 氏 名 所属工事店 支 部
優 勝 深澤 秀明 中衛工業㈱ 南 支部
準 優 勝 松岡 清典 カネコ工業㈱ 緑 支部
3 位 草野 晃司 ジョス税理士法人
<敬称略>
青年部会コーナー
第140段定期夜間勉強会
開催日 10月18日(水)
参加者 15名
技能開発部会・青年部会共催
今回の定期夜間勉強会は、名古屋上下水道総合サービス㈱人材育成・新技術開発室の伊藤様、米山様を講師に迎え、「身近で役立つマナー」というテーマで開催しました。
講義の中で人の第一印象は初めて会った時の3~5秒で決まり、その情報のほとんどを視覚情報から得ていると言う「メラビアンの法則」を知り、あいさつ・表情・言葉づかい・身だしなみ・態度の接遇マナーの基本5原則をしっかり身に付けて第一印象の素敵な女性を目指していきたいと思いました。
当日講師の方とご挨拶させて頂く時には心の中で「名刺交換の仕方これで良かったかしら・・・」とドキドキしました。
ビジネスマナーとして名刺の受け渡しや電話の受け方等についても講義して頂いたので、これからは自信を持って応対していけます!!
仕事で様々な方と接する機会がある中で、自分の為だけではなく会社の印象を良くするという点でもマナーをしっかり身に付けていきたいと改めて思いました。
定期夜間勉強会では皆さまにきっと役立てて頂けるテーマで開催しておりますので、まだ参加されたことがない方もテーマにピンッ!ときましたら是非ご参加下さい。
新たな知識の1ページを皆さまとともに増やしていきたいと思います。
青年部会 瑞穂支部 永田理絵
特別寄稿コーナー
業務所の思い出
名古屋市上下水道局 経営本部 営業部
営業課長 伊藤 健次
30年以上も前の話ですが、私は学校を卒業して名古屋市水道局に新規採用され、西業務所営業係に配属されました。当時の業務所(今の営業所ですが)は、今のようにパソコンもネットもない、まさにアナログの時代で、すべて手作業で書類を作成していました。最初の仕事は水道メータの検針業務で、今のようにハンディーターミナルもない時代で、過去の水量履歴が手書きされた点検簿という簿冊をもって、現地で水道メータの指針を読み、差引水量を暗算して、手書きの検針票で水量をお知らせするものでした。昭和の時代であり、新米の知識の少ない職員でしたが、「水道屋さん」と呼ばれて、お客さまからいろいろと話しかけられたことが、今のお客さま対応の原点となっています。先輩職員から、時には厳しく、時にはやさしく指導を受けながら、人生経験を積んだことがなつかしく思うこの頃です。
一方、工事係は、通称「監督」と呼ばれていたベテラン技師の厳しい指導の下、上下関係も厳格な世界でした。同時に配属された同期の技師も大変そうでしたが、社会人として心構えや技術力を身に着けることができたのではないでしょうか。また、ご年配の指定工事店の方は、なつかしく思われることもあろうかと思いますが、指定工事店に対しても指導が厳しかった記憶があります。当時の業務所は70から80人ほど職員がいて、良きにつけ悪しきにつけ、日常のコミュニケーションがとれていないと仕事が回らない時代で、人間関係が濃密でした。
時を経て、時代の変化に合わせて、「使用者」は「お客さま」に、水道局の業務所も上下水道局の営業所になり、各区にあった16営業所が9営業所に再編されるなど、取り巻く環境が大きく変化してきています。仕事の進め方も電算システム化が進み、人間の手からパソコンが行うこととなり、事務の効率化が図られ、人間関係も少し希薄になってきています。こうした状況のなかで、上下水道事業に携わる人間として変わらないことは、やはりライフラインとして、安心・安全で安定して上下水道を使用していただくことを使命として仕事に取り組んでいくということです。そうした意味からも、日常的な水回りの設備について上下水道局とお客さまの懸け橋として日々仕事をしていただいている指定水道工事店協同組合の皆様には感謝申し上げるとともに、今後ともお客さまサービス向上にご協力をお願いしたいと思います。特に、平成28年に締結しました「災害時における仮設給水栓の設置等に関する協定」につきましては、営業所の職員数が減少してきている中で、災害時の飲料水の確保のための初期初動を迅速に補完していただけるということで、地域に根差した指定水道工事店協同組合の皆様の存在は非常に大きいと考えています。今後も連携して、より良いお客さまサービスが提供でききればと思っております。
筆の泉コーナー
アニメ制作の世界
名古屋市上下水道局 総務部 労務課
主事 田中 伸治
最近見たアニメ作品を覚えていますか?お気に入りのアニメはありますか?
私は学生時代、アニメを制作するサークルに所属していました。新歓時期に先輩に誘われて会室を見に行くと、トレス台(蛍光灯が中に入っていて、紙を透かして絵をなぞることができる台)が載った机が並んでいました。お茶やお菓子などを出してもらいながら、テレビで過去に作ったという作品を見せてもらいました。こんな作品を自分たちで作れるのか!!と驚いたものです。
アニメはつまるところパラパラ漫画ですので、基本的には少しずつ違う絵を大量に描いて作ります。これがアニメ制作の花形とも言える「動画」という工程です。このとき、線が何本も重なったような描き方だと何枚もの絵を綺麗に動かすことができないので、細く均一な線で絵を描く必要があります。その後、従来はその膨大な量の絵をセルと呼ばれる透明なシートに写し、手作業で色を塗っていました。私がサークルに所属していた頃はデジタルへ移行していましたので、スキャナで読み込んで2値化(データを白と黒の2色だけに分けること。実線を使わずに色を塗り分ける箇所には赤や緑も使います)した上で、パソコンで色を塗ります。私はあまり絵を描くのは上手ではないので、この彩色作業をメインで担当していました。少し地味ですが、ミスをすると後の仕上がりが大変なことになってしまう重要な工程です。これと同時並行で、背景美術(背景画)を描きます。背景美術はここまで述べてきたセル画と異なり、細く均一な線で描くなどの制約が少ないので、比較的自由に描くことができます。センスが必要で手間もかかる大変な作業ですが、背景美術を描くほうが好きというメンバーもいたので、手分けしてやっていました。そして、セル画と背景美術を組み合わせ、パラパラ漫画の要領で並べ、特殊効果なども追加して動画に仕上げていきます。
2~5秒くらいのシーンを200~300ほど並べることで、約20分のアニメが仕上がります。私たちはこれを半年間かけて1本作っていました。ちなみに、多くのテレビアニメも、CMやオープニング・エンディングを除くと概ね20分程度ですので、これを毎週作っているアニメ制作会社の労力は半端なものではありません。大学を卒業してサークルの仲間は別々の道へ進んでいき、私もアニメ制作から離れてしまいました。ですが、締め切り間際には徹夜作業もした仲間とは現在でも交流があり、いつかこんなアニメを作ろう、あんなアニメを作ろうなんて夢を語り合っています。現在ではクラウドの技術が進み、離れていても共同作業ができますから、案外遠い夢ではないのかもしれません。
学生時代に制作したアニメの
ワンシーン(2013年)
消防コーナー
地震に備える 19
名古屋市消防局OB 近藤 博
明治24年(1891年)濃尾地震(15)
引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等から地震直後の実情をみていきたいと思います。
○ 愛知県の場合(その2)
3 前震
報告書では、名古屋一等測候所は、地震前日の10月27日、震度4の地震を2回観測し、翌10月28日地震計が破損、観測不能になるほどの強烈な地震に見舞われたと述べています。
愛知県の地震計は、1887年(明治20年)県庁内に雨量計と共に設置され、中央気象台とは別に独自に観測を始めましたが、より精密な観測体制を整備することが要望され、濃尾地震発生の前年である1890年(明治23年)7月に名古屋一等測候所が設置されました。(『新修 名古屋市史』第5巻)
愛知県防災会議地震部会の調査報告書では、「名古屋測候所では明治20年地震計設置以来地震は少なく、あっても微震(震度1)が1回程度であったが、明治24年10月25日強震(現在の震度で4)2回を記録した。すなわち明治24年10月25日21時14分、M6.0(略)、有感半径は179㎞で大きく、他はこれより小さかった。」と記しています。
専門調査会報告書とは、発生した日付に2日の違いはありますが、本震の前に2回比較的大きな地震があったことは間違いなさそうです。
(出典 「明治24年(1891年)10月28日濃尾地震の震害と震度分布」愛知県防災会議地震部会 飯田汲事 昭和54年3月 P3、P4)
4 余震
同測候所は、地震発生以来、余震が頻々としておきたことを報告しています。
前日に続いて29日午前6時には「同日(28日)午後一時ヨリ只今迄十七時間ニ大小二百三回ノ震動ヲ感ジタリ」(『名古屋測候報告』明治24年10月29日)と報告しています。
前掲の調査報告書(愛知県防災会議地震部会報告書)では、余震回数を28日(岐阜103回、名古屋126回)、29日(岐阜318回、名古屋185回)、30日(岐阜164回、名古屋98回)、31日(岐阜120回、名古屋79回)としており、10月の4日間での余震回数の合計は、岐阜705回、名古屋483回と記録しています。
11月に入っても余震の発生は収まらず、1日以降1日に発生する余震の回数を岐阜は、99回、92回、81回、78回、53回、名古屋も56回、30回、31回、20回、20回と観測しており、余震が頻々と発生していたことがわかります。しかし、日を追うごとに漸減しているのも分かります。
11月中の余震発生回数は、岐阜989回、名古屋415回となっています。 また、強震以上の強い地震は12月末までで、岐阜及び名古屋においてそれぞれ87回、49回発生したと記録しています。
(出典 「明治24年(1891年)10月28日濃尾地震の震害と震度分布」愛知県防災会議地震部会 飯田汲事 昭和54年3月 P6、P7)
法律コーナー
民法の大改正 時の経過により請求できなくなる債権(消滅時効)
弁護士 松 永 辰 男
平成29年5月26日に民法の改正案が国会で成立し、同年6月2日に交付され、3年後の平成32年6月2日までに施行されることになりました。この件について前回は10年経過すると時効で請求できなくなる債権が今回の改正法で5年に短縮されたことについて話しました。
今回は更に、現在の法律ではもっと短い期間の経過で時効により請求できなくなる権利として職業により発生する債権があります。医師、薬剤師、助産師、調剤に関する債権、工事の設計、施工又は管理を業とする者の工事に関する債権は3年、弁護士、弁護士法人は事件が終了した時から3年、公証人はその職務を執行した時から3年を経過した時は、その職務により受け取った書類について責任を免れる、弁護士、弁護士法人又は公証人の職務に関する債権は2年、技能者、学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育、飲食又は寄宿の代価について有する債権は2年、給料、運送賃、飲食代、席料、入場料、動産の損料等の債権は1年の各経過により時効によって請求できなくなる、といった定めをしていますが(民法170条から同174条)、この定めはなくなり、いずれも5年の時効ということになるわけです。
理由としては、このような定めをした当時としては、上記した各債権は比較的低額であり、短期決済が普通であるといった社会的風潮や慣習があったが、現在においてはこれらの慣習や風潮は妥当しなくなっているのではないかといった事情と、細かく職業別に分類しているが、現在のような複雑な社会においては条文の解釈上類似の職業のどこまで適用されるのが正しいのか疑問があり、このような短期消滅時効の定めは事案の解決を困難にしているといった事情からなくしてしまったようです。
木祖村コーナー
やぶはら高原スキー場 OPENします!!
編集後記
編 集 後 記
今年の冬は思いがけなく早く訪れ、寒さに打ちひしがれる日もあったが、「冬はつとめて」(枕草子)と早朝の風情を楽しむ余裕のない者にも、陽光に恵まれた日には、力を与えられているように感じるのも冬の良さであろう。
昨今の話題は、外国のことだと思っていた大量殺人者の出現や相撲界の負傷、不祥、不詳、不承事件などと残念なことが続く。
そんな中で、明るい話題には、ほっとさせられる。記事も熱心に拝読することになる。
その一つは、藤井聡太四段の活躍。連勝記録を29に塗り替えたあと6敗したものの先月21日には、最速で50勝目をあげ、「1局1局指してきたのが節目(せつもく)の数字となりました」と結んだ。日々惰性で過ごしている少子にとっては耳の痛い言葉であるが、1局1局盤面で力を出し切ることの強さに刮目(かつもく)しなければならないことは言うまでもない。
スポーツでは、京田陽太内野手のプレーがさわやかであった。三遊間の深いところへの当たりも美しくさばくことなど、新人らしからぬ雰囲気が感じられる。地元紙の連載をみると、実は練習の虫で、日々努力を惜しまないことを当たり前のこととして行っていることが結実したものであることがわかる。
これも、先月のことであるが、北斎の大だるま絵(120畳)が200年ぶりに復活した。名古屋に長期滞在したということも初耳であった。現代にそれを実現するのもさぞかし大変なことだと思われるが、江戸時代文化年間にそのことを成し遂げていることには驚かされる。とかく閉鎖性が話題となる名古屋だが、御先祖様の旺盛な遊び心や開放性にも着目したい。
年末、晦日まで僅かの日々となっているが、日々努力を重ねてきた皆様に幸福な時間が訪れますことを願っています。また、怠惰な毎日を過ごす者にも、平等に、明日への活力と健康を与えてくださっている給水・排水その他水関係の事業に関わる全ての皆様に感謝を申し上げて、穏やかで平和な年末、年始を迎えられることを祈りたいと思います。
(E・Y)