『観桜』第31回フォトコンテスト入賞 撮影:㈱佐藤総合設備 佐藤 忠雄 氏
名古屋の風景
小栗橋からの風景
高橋 宏章 氏 (㈲佐治施設工業)
中川運河と堀川をつなぐ東支線の分岐点のすぐ下流にあるのが小栗橋です。
上流の運河橋より古い昭和4年竣工で、幾何学模様の鉄製高欄や鋳鉄製の装飾を持つ親柱などが当時の面影を残しています。
写真ではささしまライブと、名古屋港ガーデンふ頭や金城ふ頭などを結ぶ水上バス「クルーズ名古屋」が、運航している様子がおさめられています。
会議コーナー
定 例 理 事 会
理事会風景(総務委員会)
理事会風景(資材委員会)
1.開催日時 2月7日(水)
午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 17名
1.出席理事 17名
お知らせコーナー
名古屋市防災表彰
平成29年12月22日(金)、名古屋市役所 本庁舎5階正庁にて平成29年名古屋市防災表彰式が執り行われ、当組合が市長表彰を拝受いたしました。
この表彰は名古屋市が進める防災施策に貢献又は功労した市民や団体に対し、その功績を讃えるとともに、市民等の防災意識に一層の高揚を図ることを目的としております。当組合が昨年5月18日に実施した上下水道局、名古屋上下水道総合サービス㈱との防災訓練、学区防災訓練や、災害発生時の応急給水活動で寄託されている仮設給水栓を自主的に設置する取り組みなど、地域防災力の向上に寄与したことが認められ受賞することとなりました。
表彰式では名古屋市長 河村たかし様から表彰状を授与され、ご祝辞を賜りました。
青年部会コーナー
第143弾定期夜間勉強会
開催日 1月24日(水)
参加者 20名
技能開発部会・青年部会共催
今回は、大名古屋ビルヂングにあるTOTOテクニカルセンターにて、パブリック向け商品の構造・使用用途について、勉強会を開きました。
前半の座学では、小規模施設トイレの多様化する利用者の特性や人数を踏まえて、快適なトイレ空間を整備していくために、アンケート結果を踏まえて説明していただきました。
例えば男女兼用の場合、女性の81.9%はトイレの床が濡れているケースに対して不満を感じるという。男性が立って用を足す際、周りの床に尿が飛び散ってしまいがちだ。さらに女性の68.5%は、男性の使用後に上がった便座を手で下げることを不満に感じている。また、子供連れの場合は、ベビーカーごと入れるトイレが少ない、等の調査結果でした。
後半は3班に分かれテクニカルセンターの見学を行いました。この施設では便器が透明になっており最新節水トイレの構造や洗浄時の動きを確認しました。トイレと同様、水栓の分野においても、従来より約35%少ない水で量感のあるシャワーを実現したエアイン技術の構造や水滴の動きを確認しました。
特にトイレに関しては「技術を聞いているだけで欲しくなる」というほどでした。また、もの造りに対するこだわりが強く、僅かな誤差も許さない出荷を行なっているそうです。
品質に対するプロフェッショナルな姿勢は、自分たちの業務に通じるものがあり、共感をうけました。
今後も、みなさまに役立つ勉強会を開催しますので、ご参加お待ちしております。
青年部会 中支部 山添 康弘
特別寄稿コーナー
世界で最初の水道
名古屋市上下水道局 経営本部 営業部
中村営業所 所長 籔本裕也
指定工事店協同組合員の皆さまにおかれましては、日頃より上下水道局のかけがえのないパートナーとして、上下水道事業の発展のためご尽力いただき、誠にありがとうございます。
さて、先日「テルマエ・ロマエ」という映画を見ました。古代ローマのテルマエ(公衆浴場)の設計技師が、現代日本にタイムスリップして、銭湯の富士山の壁画や、フルーツ牛乳、シャンプーハットなどに感銘を受け珍騒動を巻き起こすコメディ映画です。この映画で古代ローマ人はふんだんに水を使っているのですが、それは世界初の水道といわれるローマ水道によって供給されたものだそうです。
ローマ時代は今から2000年も昔のこと。ローマに引かれた水道は11本の水路から成り、全長は約500kmもあったそうです。ローマ水道というと立派な水道橋が思い浮かびますが、水道橋は1割強で、水質や外敵への防衛などのため8割以上は地下につくられました。一日給水量は100万㎥、住民一人当たりの一日給水量にすると1㎥で、名古屋市の約0.3㎥(28年度)より多く、当時は流しっ放しだったとはいえ、かなり豊富な水量だったようです。
水源は、遠隔地の湧水や湖の深層水などで、水源からの長い距離を約3000分の1の勾配で自然流下により水を引いてきました。この勾配は、犬山取水場と鍋屋上野浄水場の高低差よりゆるやかな傾斜になるようです。このような卓越した測量技術やローマ人の大発明といわれる堅固なコンクリートなど高い技術力でローマ水道は造られました。2000年たった今も現役で使っている水路もあるということには驚きます。
また、古代ローマでは、水道を社会インフラの中で重要度の高いものと位置付けており、住民の安らぎの場として、公衆浴場や噴水、泉といった水にかかわる施設も整備しました。公衆浴場には、図書館やジムなどもあって総合レジャーセンターだったようです。映画でも風呂は人の心を安らかにし、幸せにするものとして描かれていました。
ローマ帝国の滅亡後、ヨーロッパの水道技術は衰退し、その水準に追いついたのは産業革命以降ということで、ローマ水道がいかに進んでいたかわかります。
「ローマは一日にしてならず」という諺のように、ローマ水道の完成にも500年という長い歳月を要しました。私たち上下水道局も、指定工事店協同組合の皆さまとともに力を合わせて、遠い未来に向けて、ゆっくり一歩一歩歴史を刻み、お客さまに安らぎを運んでまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
本稿のため久しぶりの勉強で汗が出ましたので、テルマエ(スーパー銭湯)で水に流そうと思います。(参考:「水道が語る古代ローマ繁栄史」中川良隆)
筆の泉コーナー
朝の突然のニュースに驚いて…
名古屋市上下水道局 情報システム課 営業システム係
主事 上村 祐佳里
休日の朝、起きてテレビのスイッチを入れたら画面にニュース速報の文字で
「星野仙一さん、死去」
起きたばかりの目を疑いました。星野監督(監督時代が好きだったので敢えてこう呼びます。)は中日、阪神、楽天、そして日本代表チームの監督をされていましたが、大のドラゴンズファンの父の影響で小さい頃からプロ野球を見てきた私にとって星野監督は青ユニフォームの星野ドラゴンズのイメージが強く、そんな昔から見てきた人の突然すぎる訃報に信じられなく大きなショックを受けました。テレビでは星野監督の人柄やいろんなエピソードが伝えられていましたが、とても厳しい反面でそれ以上の温かさ、優しさを感じさせる本当に素敵な監督でした。
そんな星野監督の死因となったすい臓がん、早期発見が困難な上に進行も早く最も難治のがんと言われています。実は私の父も5年前すい臓がんと診断されました。リンパ節まで転移しているステージⅣでした。すい臓がんの5年生存率はわずか1.4%です。定期的に受けている糖尿検査で異常値が出たため、念のために他の検査をしていく中で見つかりました。
この前のお正月、帰省した高校の同級生と久しぶりに会った時、聞きにくそうな表情で「お父さん元気してるかな。」5年前のお正月に会った時はちょうど父の手術の直後で、製薬会社に勤める医療業界に詳しい彼にいろいろ相談したことをずっと気にかけてくれていたようで「毎年年賀状届いてるでしょ。再発もなく何とか元気に生きてるよ。(笑)」と答えると、すい臓がんの怖さをよく知っている同級生はすごく驚いていました。
先日5年目の定期検査で無事陰性反応の結果が出ました。担当医からも「これでもう大丈夫。」と言葉をもらって父はとても喜んでメールを送ってきました。奇跡のような話ですが、父は特別な民間治療や特に高額な抗がん剤を投与した訳でもありません。ネット情報を駆使してがん細胞に効果的なものをいろいろ調べて、水素水、ウコン、ゴボウ茶、ブロッコリー、ヨーグルトなど…手軽に試せる食事療法で何とか克服することができました。
星野監督のように有名人ががんで亡くなるというニュースが多いのですが、報道されない隠れた中でも父のように生存率の低い病気を克服した人もいます。
星野監督の話からすい臓がんの話になってしまいましたが、このページを読んでいただいた中に身内の方が闘病中、もしかしたらご自身がそういう苦しい状況の方がいるかもしれません。この紙面を通じて最後まで諦めないで闘ってほしいとエールを届けられたらと思います。
談話室コーナー
私と柔道
中川支部・有限会社國水管工
吉川 徳和
現在、私は46歳になります。いまだに柔道で汗をかいています。(現場でもかいてますけど、冷や汗含む)そもそも柔道と出会ったのも若い学生時代ではなく、33歳という若干おじさんになってから出会うことになりました。実は、私の長男に習わせるため、道場を探しました。送迎の事も考慮し近くで探しました。露橋柔道クラブという露橋スポーツセンターの中にある道場に入りました。稽古を見学したところ大人の方達もたくさんされていたので軽い気持ちで運動不足解消のために私も習うことに決めました。道場主である先生はすごく気さくな方で(見た目は少し怖いのですが)長男も私もすぐに受け入れてもらいました。
長男は当時、幼稚園の年中でおさなかったのですが先生や小学生のお兄さんたちにかわいがられ頑張っていました。
私ですが、体格に恵まれ学生時代にはラグビー経験もあり、さらに肉体労働者ということで、かなり自信がありました。練習を始めて1ヵ月ほどは、受け身や、打ち込み等の基本練習が続き、正直つまらないなぁと思っていました。そんな時に先生が「そろそろ乱捕りするか」と、言ってくれました。(乱捕りとは試合形式の練習みたいなものです)そのときは、やっと柔道ができる、よしやったろかという気持ちでいっぱいでした。しかし、現実は甘くなかったのです。
初めての相手は高校1年生の60~65㌔ぐらいの子でした。正直楽勝と思っていました。そんな子が組んでから私をいきなり押してきたのです。先ほどお話した通り力には自信がありましたので、なにを生意気にと思い、押し返した瞬間に畳に仰向けになっていました。きれいに背負い投げで1本とられたのです。これが柔道かと思い知らされました。その時のことは今でも鮮明に覚えています。
それからは、力だけでは無理だということを知り先生方に指導して頂きそれなりに乱捕りもできるようになっていきました。半年が過ぎたころ先生が「そろそろ昇級試験でも受けるか」と言われ、試験?昇級?おじさんだよ?正直、運動不足やストレス解消のために始めたものですからまさかこの年になって試験を受けるとは思っていませんでした。しかし、せっかく練習をしてそれなりになってきたのを試してみたいとも思い挑戦することにしました。
柔道は中学生から試験を受けることができ、2級から始まり試験内容は試合です。1組5人で組まれ総当たり戦になります。4試合することになります。合格ラインは4点つまり、1回勝てば1点(技あり以上)ということです。
まず、級別、段別に招集され準備運動から始まります。それから組み合わせが発表されます。
年齢や体重は関係なく選ばれます。どんな対戦相手になるか直前までわかりません。若干緊張もしましたがラッキーな相手ばかりで全勝することができ無事2級に受かることができました。現在2段になりますが、この2級戦が一番印象に残っています。
それから、試合にも多数出場させていただき良い経験をさせてもらいました。なかでも、白帯の時期に中川区民スポーツ祭で高校、一般無段の部という枠の大会で2連覇したことが今でもうれしい思い出の一つになっています。
また、稽古、試合ばかりでなくたくさんの懇親会(飲み会)があり毎回誘っていただき楽しく過ごしています。大人の生徒はいろんな職業の方がいてちょっとした異文化交流にもなっています。ちなみに外国人(フランス、カナダなど)の方もいます。
最後になりますが、私の場合はたまたま柔道ですが、皆様もたまには仕事を忘れ何かに夢中になれることがあると人生楽しいと思います。いつまで続くかわかりませんが、大けがしないようにこれからも柔道を楽しんでいきます。
最後までお付き合いしていただきありがとうございました。
消防コーナー
地震に備える 22
名古屋市消防局OB 近藤 博
明治24年(1891年)濃尾地震(18)
引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1891
濃尾地震 平成18年3月」の報告書をもとに、当時の人が記録した報告等から地震直後の実情をみていきたいと思います。
○ 愛知県の場合(その5)
震災から数日を経ると、徐々に震災の全貌が明らかになり、当然ながらそれにつれて被害の数値は大きくなっていきました。
しかし、愛知県内でも被害は地域によってかなり差があったようです。
11月1日付け『扶桑新聞』は、「今回の地震は尾張地方に最も強くして三河地方は弱」と述べています。
『愛知県「震害郡市別一覧表」(明治24年11月12日調)』によれば、県全体での死者は、2,347名、負傷者3,688名、家屋の全壊62,095戸、半壊36,830戸ですが、その内三河地方の死者は10名、残り2,337名は尾張地方での死者になります。全壊戸数で見ても尾張60,192戸に対して三河は903戸で、明らかに尾張部での被害が大きくなっています。
上記一覧表は、11月12日調の数値ですので、被害状況が判明してくる後になればなるほど、この数値は大きくなっていきます。
報告書は「この意味では、この地震は確かに「濃尾」地震であったといえよう」としています。
9 尾張地方(名古屋市を含む県西部)の被害
(1) 小牧・犬山の状況
報告書は、被害の大きかった尾張地方の状況として『犬山壮年会雑誌』の第34号(明治24年12月号)に載った北尾鼎(かなえ)という人物の「震災目撃出たま々記行」という文章を紹介しています。
東京慈恵院の看護婦4名を含む一行が、自分たちの出身地である丹羽郡犬山町(現在の犬山市)等を見た記録になります。
彼らは、震災から数日後に、名古屋から犬山に向かった。『扶桑新聞』の白水山人同様、名古屋城あたりから北へ向かい、庄内川を越え西春日井郡に入り、更に尾張中央部の東春日井郡小牧町(現小牧市)まで来ると、「惨状清水(名古屋市清水―引用者)より甚だし、上の町、横町(即ち小牧中の最良部分)の如きは十分の九以上崩壊潰倒せり、岩崎村の藤の棚(小牧市岩崎にある料亭「清流亭」の藤棚のことか 筆者)又殆ど崩壊せり」と一層酷くなっています。
そして、彼らがやっとたどり着いた犬山は、木曽川を挟み震源地岐阜に近いだけに被害は甚大なものになっていました。
「漸く進んで犬山に入る、街上両側の家屋悉く破壊せられ、外町、名栗町の如きは全く崩潰し、砂塵の間に奔走して、跡片付けを為すもの々み、〔中略〕余市中を巡覧するに民家の半数は崩壊せり中就(なかんずく)、上本町、中本町の如きは最も破壊少なき部分なれども、全く傾倒するか然らざれば其尚庇(ひさし)は必ず崩落し、実に見るに影もなき状況を顕せり、而して新町、魚屋町、練屋町の如きは最も惨状を極め、敗瓦破梁、街上に堆積し歩行極めて困難なり」、と述べています。
また、犬山城も大きな被害を受けています。同報告書のコラム「濃尾地震と犬山城」には、「犬山城も天守台の南西隅の崩落によって西南部分が壊れ、東南隅のいわゆる小天守も全壊した」と述べています。
上記は、犬山の被害状況ですが、この記述だけでも尾張地方は大きな被害を受けたことが分かります。
(2) 尾張地方各郡の状況
尾張地方各郡の被害状況の詳細については、紙数が増えすぎますので割愛させていただきますが「被害程度についてみると、中島郡の被害が最も大きく、次いで葉栗郡・西春日井郡・海東郡・丹羽郡・海西郡・愛知郡・東春日井郡」の順となっています。
(出典 「愛知県災害誌」昭和45年3月 P472)
主な郡の、明治11年以降、行政区画として発足した当初の郡域と現在の行政区域を示せば、下記のとおりです。
中島郡 一宮市の一部、稲沢市の大部分、清須市の一部
葉栗郡 一宮市の一部、江南市の一部
西春日井郡 名古屋市の一部、小牧市の一部、清須市の一部
北名古屋市の全域
海東郡 名古屋市の一部、津島市の全域、愛西市の一部、清須市の一部
弥富市の一部、あま市の全域、海部郡大治町・蟹江町の全域
丹羽郡 犬山市・岩倉市・大口町・扶桑町の全域、一宮市の一部
江南市の大部分
海西郡 愛西市の一部、弥富市の大部分、海部郡飛島村の全域
岐阜県海津市の一部
(各郡域の項 出典 Wikipedia)
10 三河地方の被害
三河地方の死者は10名、全壊家屋903戸であり、尾張地方に比べれば被害は大きくはありませんでしたが、被害を受けた地域もありました。碧海郡では全壊家屋540戸を数え、なかでも碧海郡赤松村(現安城市の内)では約250戸のうち35戸の住家が「大破」「全倒」の例が報告されています。(碧海郡赤松村『震害被害調』)三河地域も、部分的には大きな被害があったことになります。
しかし、東加茂・西加茂・北設楽・南設楽の各郡では、被害は殆どありませんでした。「此ノ四郡ノ震動ハ梢(やや)強烈ナリシモ概ネ水平動ニシテ人畜ヲ害セズ又家屋ノ破壊甚少ナリ」(名古屋測候所『名古屋測候所観測及各地景況』)。
確かに、死者の発生、家屋の倒壊や亀裂・山崩れ等で道路が通行できなくなる等の被害はあったものの、三河地方の被害は、甚大な被害を受けた尾張地方と比較すれば、軽微なものだったことになります。
法律コーナー
不同沈下の是正工事
弁護士 松 永 辰 男
最近のニュースで聞かれるようになったことですが、高層建物等の建築工事において杭が支持層に到達していないがために地盤が不規則に沈下し、建物が傾いてしまう事例があります。これは不同沈下による建築の瑕疵ということになりますが、そのことを問題にし、工事業者に損害賠償を請求して認められた事案として平成28年3月31日松江地方裁判所の判決(判例時報2347号99頁)があります。事案は松江市から幼稚園の建築工事を5億7000万円余で請け負った元請業者が建築した建物ですが、平成22年12月に工事は完了しましたが、同23年3月より不同沈下が確認されたので、請負業者は同24年5月以降不同沈下の是正工事を行いました。これに要した費用は4億6000万円余でした。
ところで、元請業者は杭打工事の施工を業とする業者に杭打工事を発注し、その下請業者は更にJEEスチール株式会社から「つばさ杭」の施工業者として指定されている会社に杭打工事の現場管理を発注しました。つまり、最後の下請業者は元請業者からみると孫請業者になります。ですから、今からの説明は元請業者、下請業者、孫請業者と呼びます。
因みに、元請業者から下請業者への杭打工事の請負金額は6142万円余でして、下請業者から孫請業者への現場管理請負金額は4515万円余でした。元請業者は不同沈下の原因が杭打工事において打設した杭が支持層に達していなかった瑕疵を理由とし、孫請業者に対しては、杭打工事において打設した杭が支持層に達していなかった事実を確認できなかった過失があったとして、不法行為により、それぞれの業者に合計5億1300万円ずつの損害賠償請求をしました。判決では請求通りの賠償金額が認められました。下請業者、孫請業者らは、請負金額を超える金額の賠償を求められ、認められたことになります。
本件では、杭が支持層に達していたかどうかが最大の争点ですが、打設した113本の杭の内、67本が支持層に届いていなかったと認定しました。支持層とは、上部構造物の荷重を安全に支えることが出来る良好な地盤をいい、地盤の絶対的硬さを示す指標を「N値」と言うとされています。判決においては、現場管理をした孫請業者は、「№36の試験杭を施工する際、硬さ指標のN値と同様の急激な増加や、換算トルク値の上昇がみられなかったにもかかわらず、漫然と支持層到達と判定した。」と言い、いわゆる、完全な支持層到達の事実を確認していなかった過失があったと認定し、孫請業者の過失責任を認め、下請業者も含め、本来の請負代金を大幅に上回る損害の賠償を認めたのです。不同沈下の問題は大変なことだと思います。
木祖村コーナー
疲れた時に甘酒でほっと一息・・・
疲れた時に甘酒でほっと一息…
ところで、甘酒には2種類あるってご存知でしたか??
酒粕で作る甘酒=酒粕に水とお砂糖などを加えて作ります
・酒粕=清酒もろみをしぼった後にできる搾り粕
→米麹、酵母や清酒成分などの栄養分が一杯含まれ、栄養価が高い!
・アルコール成分が含まれます
・砂糖で甘みをつけます。(砂糖の量によってカロリーが高くなる可能性も…)
・比較的安価でつくれます。
米麹でつくる甘酒=潰したお米に麹菌を加えて発酵させて作ります
・アルコール成分がないので、小さなお子様・妊婦さんも安心です。
・米と米麹の自然の甘さがあります。
・カロリーが比較的低いです。
どちらも、ビタミンB群、アミノ酸、食物繊維、その他にもたくさんの
栄養成分が詰まっています!!
・体力回復 ・美肌効果 ・整腸作用 ・ダイエットにも!!
ぜひ甘酒を日々の食生活に取り入れてください!
きっと、違いを実感できる…!!はずです☆
☆アンテナショップでは木祖村の酒かす&甘酒販売中です☆
湯川酒造店の酒かす/道の駅げんき屋「源流の里 米麹の甘酒」
編集後記
編 集 後 記
先月は、数年に一度、更に何十年に一度という厳しい寒波に悩まされた方も多かったと思う。気象庁が昨年末に予測していたこの冬の気象傾向が、的中した形だ。南米ペルー付近の太平洋では海面温度が冷たくなる状況(ラニーニャ現象)が生じ、その反面で太平洋の西側では逆に海面温度が高くなり、海水の蒸発が多くなり、積乱雲の発生が多くなる。そのことが日本付近の偏西風の蛇行を引き起こし北からの寒気を招きやすくなるということだ。そのポイントは赤道付近を東から西に吹く貿易風の強さだといわれている。「風が吹けば桶屋が儲かる」ならぬ「風が吹けば、寒さに凍り付く」ことが日本の随所で見られた。
寒さを吹き飛ばす興奮を与えてくれたのは、平昌に集った選手達であった。難しい技や困難な状況でもあきらめずにチャレンジする姿には、選手ならずともドキドキ感が、テレビを通しての観戦でも伝わってくるよう。メダルを手にした方も取れなかった方にも、その努力への賞賛と力を与えてくれたことへの感謝を申し上げたいと思う。宇野昌磨選手の「冒頭のジャンプの4回転ループを失敗した時点で、すごく笑えてきてしまって。そのあとはもう自分の演技をしようと」、小平奈緒選手の「けものかどうかわからないけど、躍動感あふれるレースができた」との自分の力を出しきったことの充足感に満ちたコメントにも感銘を覚えた。
また、フィギアスケートの金と銀を決めた時刻からさほど間を置かず、その日は2度目の新聞号外が配られた。藤井聡太五段が、羽生善治竜王・棋聖、広瀬章人八段を相次いで破り公式棋戦に優勝し、またも「ひふみん」の記録を塗り替え最年少六段の誕生である。「まだまだ足りないところは多い」との話しぶりは、まだまだ足りないという自覚のない者に向けられた言葉としても突き刺さる。
さて、インフルエンザの大流行や寒波も収束していることであろうが、年度末の慌ただしい時期も藤井六段のように「冷静沈着」にみつめ、アスリート達のように今持っている自分の力をうまく出すことができるように準備を積み重ねていければ、4月の風も心地良く迎えることができるであろう。
(E・Y)