『ふれあい広場のうさちゃん』第33回フォトコンテスト入賞           撮影:アダチ設備サービス㈱ 鈴木 政子氏

『ふれあい広場のうさちゃん』第33回フォトコンテスト入賞           撮影:アダチ設備サービス㈱ 鈴木 政子氏

名古屋の風景

名古屋市役所

吉田 信彦 氏 (水道組合)
吉田 信彦 氏 (水道組合)

 名古屋市役所は地方公共団体である名古屋市の執行機関としての事務を行う施設である。1933年に施工。これは政令指定都市の中では1927年竣工の京都市に次いで2番目に歴史の長いものとなっている。

 名古屋市役所は本庁舎、東庁舎、西庁舎から成り、本庁舎の裏手に東庁舎、大津通をはさんで向かいに西庁舎が建てられている。

 本庁舎は昭和天皇即位の記念事業として建設されたもので、公募によって選ばれた平林金吾の設計を基にした近代的なビルに和風の瓦屋根を載せた「日本趣味を基調とした近世式」の意匠が特徴的である。2014年12月10日に国の重要文化財に指定されており高さ53mの中央塔の上部に二層の屋根を付し、最上層の四柱屋根先端に四方にらみのシャチをのせて名古屋城との調和を図っていまる帝冠様式の建物です。

会議コーナー

定 例 理 事 会

1.開催日時  1月9日(木) 午前10時 ~

 

              1.開催場所  熱田神宮会館

 

       1.理事定数  17名

 

       1.出 席 者  理事17名 

               監事 2名 顧問 1名

青年部会コーナー

第166弾定期夜間勉強会

   開催日令和元年12月18日

参加人数18名

技能開発部会・青年部会共催

 

 今回の定期夜間勉強会は、株式会社日邦バルブを講師にお招きして、「戸別減圧弁ユニット」というテーマで勉強会を開催いたしました。

勉強会の後半は現在研究開発中の「応急給水ユニット」も紹介していただきました。

 近年、ホテルや老健施設など各戸に水道メーターを必要としない建物でも直圧加圧給水方式が主流となり、各戸のパイプスペースも狭小化され給水及び給湯管の止水栓、減圧弁を設置するのが困難だったり、メンテナンス出来ない状況や樹脂配管やフレキシブル管で接続する時は鋼製架台を製作するなど、施工手間が掛かりそれらに対応できないか?という「現場の声」から製品化された商品だそうです。

通常、弁類は配管に組込み配管を支持するという施工方法でしたが、この「戸別減圧弁ユニット」を使用する事によって、省スペース化が可能で樹脂配管での接続も簡単。また、将来のメンテナンスも容易に行えると感じました。

 減圧弁の取替えは弁本体を取替えるものだと思っていましたが、この製品の減圧弁はカートリッジ式になっており電球交換と同じ要領で容易に交換できるようになっていたので驚きました。製品の現物を展示してもらえたので見て触って実感することができました。

 後半の「応急給水ユニット」でも製品の現物を展示していただけました。

「メーターバイパスユニット」で「応急給水に対応」かと思っていましたが、そうでは無くバイパスの機能はありませんでした。各自治体へ提案したり改善したりで製品化はまだまだ先のようです。

 今回の勉強会では製品を展示していただき見て触る時間を設けていただけたので、疑問質問がその場で行うことができ、メーカーさんの製品開発の考えも聞くことができ大変勉強になりました。

今後も皆様のお役に立つような勉強会にしていきたいと思っておりますので、

皆様のご参加を心よりお待ちしております。

 

青年部会 熱田支部 加藤 敦士

 

特別寄稿コーナー

ONE TEAM(ワンチーム)

名古屋市上下水道局 営業部

料金課長 伊藤 健次

 

 令和2年は穏やかに幕が開け、いよいよ東京2020オリンピック・パラリンピックの年を迎えました。世界中からアスリートが集い、メダルを目指して真剣勝負が繰り広げられるスポーツの祭典。今から日本選手の活躍をワクワクドキドキしながら、楽しみにしている人も多いのではないかと思います。

 さて、スポーツの一大イベントで思い出すのが、昨年開催されたラグビーワールドカップの「4年に一度じゃないよ、一生に一度だよ」のキャッチコピーです。昨年の今頃はあまり注目されていなかったと思いますが、このコピーが伝えるメッセージが強く印象に残り楽しみにしていたところ、いざ開幕して日本代表チームの躍進もあり、国の威信をかけた真剣勝負で大いに盛り上がりましたね。そうしたなかで、日本代表のチームのスローガンであった「ONE  TEAM」という言葉は人々の共感を呼び、流行語大賞に選ばれるなど広く社会に浸透しました。この「ONE TEAM」という言葉は、「国籍や文化など違いがあっても、目標に向かってその違いを乗り越えてひとつになり、全員で力を合わせて組織で一丸となってやり遂げる」という意味で、そういう姿勢が多くの日本人に受け入れられたものです。ラグビーというスポーツは、組織的にそれぞれのポジションの役割を泥臭く果たすことにより、勝利を目指すものであり、私たちの仕事にも通じる必要な概念と考えます。仕事を進める過程で、関係者でいろいろな意見の食い違いがあるなかで、お互いに尊重・協力し合いながら、成果を上げていく姿勢を持つことは大変重要なことです。こうした観点からも、名古屋の市民・お客さまに安定した上下水道サービスを提供していくためには、局職員だけでは成し遂げるは困難であり、指定工事店協同組合の皆さまと連携して、お客さまの水周りのプロとして「ONE TEAM」となって「お客さまサービスの向上」に組織的に取り組む必要があります。また、災害時には、地域に密着して、いち早く応急給水・応急復旧に支援いただける事業者として大変頼りになる存在であり、ライフライン機能の強化に寄与していただいているところです。

昨年、次期中期経営計画「名古屋市上下水道経営プラン2028」を策定し、今後10年間先を見据えた事業を公表したところです。各区にあった営業所も再編が進み、現在9営業所体制となっていますが、今後、更なる業務の集約化・委託化を進め、方面別に営業所体制を見直してまいります。こうした流れのなかで、指定工事店協同組合の皆さまとは、これまで以上に緊密に連携して、お客さまの給排水設備の維持管理のパートナーとして、「ONE TEAM」となって、地域に根差したサービスを提供していきたいと考えています。

 

筆の泉コーナー

自然災害に油断は禁物

名古屋市上下水道局 建設工事事務所

技師 中村 圭祐

 

 私はこれまで自然災害が自身に降りかかったことがないため、その危険性について軽視していました。しかし先日、日本列島へ上陸した台風19号の恐怖を実際に感じたことで、その意識が変わりました。この経験について述べます。

2019年10月11日から14日まで、私は長野県上田市の友人宅に3泊4日で遊びに出かけていました。後に大災害となる台風19号が接近していたのですが、事前に友人と相談し、上田市に被害はなさそうなので大丈夫だろうと判断をしました。その根拠は、報道では太平洋側の沿岸部に被害が予想されていたことで、内陸部である長野県は関係ないと考えたからです。この時には友人宅から約500mの位置にある千曲川が恐ろしいことになるとは全く想定していませんでした。

10月12日、台風が上田市に直撃したのはこの日の午後から深夜にかけてであり、昼前までは友人と街を観光していました。観光から友人宅に戻ると、次第に雨風が強まっていきましたが、これくらいなら大丈夫だろうと友人と話していました。夕方ごろ、突然友人の携帯電話が鳴りました。話が終わり内容を聞くと、台風の影響で職場に緊急出動することになったとのことでした(友人は上田市役所勤務のため)。念のための出動との事なので、問題なければすぐに帰ってこられるだろう、と友人は話して家を出ました。その後、テレビなどで台風の情報を見ていると、千曲川が増水して危険な水位になっていることが報道され、しばらくして私のスマートフォンから緊急速報が大きく鳴り響きました。避難指示が発令されていました。今いる場所が危険な状況であることを知り、恐怖を感じました。今更ながら避難所マップなどを調べましたが、恐らくアクセスが集中していたため、繋がりませんでした。どこに避難したら良いか分からず、また周囲が浸水しているかも知れないため、身動きが取れない状況でした。夜も更け、後は被害がないことを祈りながら就寝しましたが、雨風の音も大きく、恐怖心からあまり眠れなかったことを覚えています。

翌朝、目が覚めた時に生きていることに安心しました。しかしテレビをつけると、千曲川の上流部では氾濫があり、友人宅から近くの堤防が決壊する寸前まで削られている状況などを目にしました。私自身に被害はなかったものの、紙一重だったことを知りました。

自分は大丈夫だろうという油断をせず、より安全な行動を選べた場面は多くあったと思います。結果的に、今回は避難せずに友人宅に留まったことで助かりましたが、近くの堤防が決壊していれば命がなかったかもしれません。自然災害に対して油断は禁物であるということを学びました。

 

談話室コーナー

富士登山のすゝめ

天白支部・野村工業 株式会社         

      野村 直博

 

 先日、家族で食事をした際にふと目をやると、富士山のお皿に盛られた食事が運ばれてきた。富士山というだけで、めでたい気分となり、いつも以上に食事を美味しく頂くことができた。思い返せば、年始のテレビ中継やCMなどでも富士山は多用されていたし、2024年度に発行される新紙幣でも千円札に印刷される図案には、江戸時代の有名な浮世絵師、葛飾北斎が描いた『冨嶽三十六景』のうちの1つ、「神奈川沖浪裏」が採用されるという。

 「富士には月見草がよく似合う」という言葉はかの有名な作家、太宰治の『富嶽百景』での一説。富士山は古くよりその美しさから数多くの人々を魅了し、信仰の対象とされてきた。かくいう私も富士山に魅せられた人間の1人である。日本の最高峰であり、かつ独立峰でもある富士山の雄大にたたずむ姿は春夏秋冬問わず、いつ見ても美しく、私達の心を打つ。

 富士山信仰に関しては、諸説あるが、静岡県富士宮市には、縄文時代中期の遙拝祭祀場跡(遙拝とは遠く離れた場所から拝むこと)と思われる遺跡が見つかっており、いにしえより噴火する富士山に畏怖の念を抱いていたことがわかる。これが時代の流れの中で、「遙拝」から、「登拝」へと変化していった。江戸時代中期には、富士山を信仰する農民や商人らで組織された富士講が爆発的に広がり、富士の八百八講と呼ばれる程に信仰は盛んとなった。今でも富士登山を行うと、白装束にすげ笠を身にまとい、金剛杖を携えている人を見かけることができる。

 このように富士山信仰の広がりからか、全国には、それぞれの地域に「富士」の名前を付けた「ふるさと富士」が数多く存在する。その数は340以上あると言われており、各地で「薩摩富士」とか「蝦夷富士」と親しみを込めて呼ばれ、大切にされている。愛知県犬山市にも「尾張富士」と呼ばれる、飛騨木曽国定公園に指定され、尾張三山の一角をなす山がある。富士山本山だけでなく、地元にある富士山に登るのもおもしろいかも知れない。

 ここまで富士山に対する知識を羅列していったが、私自身は何度も富士の裾野に足を運び、その雄大な姿を眺めてきたが、遙拝専門で、実は自らの足でその山を登った経験はない。いつか機会があればと思い、今日に至る。富士登山を経験したことがある知人からは、富士山からの景色は、まさに雲の上の世界。普段は味わうことのできない最高の経験ができると聞く。雲海が黄金色に輝くご来光、永遠に続くかのような地平線、影富士、満天の星空、東京まで一望できる夜景などなど、人生で一度は味わいたい感動が富士山にはあるという。私も今年こそは富士山を眺めるだけでなく、自分の足で登りたいと思う。もしよろしければ、みなさんも一緒にいかがでしょうか?

 

消防コーナー

地震に備える45

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

昭和19年(1944年)東南海地震(17)

 

引き続き、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

東南海地震・1945三河地震 平成19年3月」の報告書をもとに、三重県の熊野灘沿岸における津波被害の実態をみていきたいと思います。

 

○ 三重県の被害(その3)

伊勢湾岸の被害状況の次には、それ以上の被害をうけた志摩半島から熊野

灘沿岸にかけての状況をみていきたいと思います。

 報告書には、いくつかの津波体験談が記録されていますが、まず、それか

ら紹介したいと思います。

 

① 当時軍役で志摩半島の沿岸構築に派遣されていた人の体験記

  「……ある日、食料の買い付けのため……荷車に甘藷、米、野菜等々を積

み、海岸よりの道を帰営すべく歩いて来たところ、近くの物置小屋の扉が「ガ

タゴト ガタゴト」と音がし、扉が開き揺れていた。何だろう?と思って近く

の海を見ると、今まで道の下まで来ていた波が沖合い遙か数百米まで引き、

魚がおどり、海底まで干し上っている。驚いていると、山の上で農作業をし

ていた人が「兵隊さん危ないから早く山に登りなさい」と大声で叫び、「早

く早く」と急き立てられ、慌てて山に登ると、沖合いの方から幾つも大波が

打ち返す様に、次々押し寄せて来るのが望見され、これが「津波」であるこ

とを知った。……」

 これは当時の英虞郡甲賀村(現志摩市)の様子で、津波が来る前の状況を

端的にあらわしていますが、併せて、地震動そのものはそれ程強いものでは

なかったことが分ります。

 

  次に、大きな津波被害のあった度会郡吉津村(現南伊勢町、旧南島町)の

様子を見ていきます。

② 吉津村国民学校初等科3年生の作文

「僕らは習字をしておりますと、きょうしつがみしみしとゆってきまして、

先生は地震ですから外へ出なさいといわれましたので、すぐ外へとび出まし

た。運動場へ出てもまだゆっていて体をこかすようにしました。少したって

地震もおさまったころ「津波や早くにげよう」と言う人の声がしてきました

ので、生徒が集合し、急いで学校前にある山へかけのぼりました。

山から町を見ておりますと、どろ波がおしよせて町へ舟が流れてくるやら

家がなんげんともなくたおされました。朝おきて学校へ行ってみますと校庭

に家や舟が流れ込んでいるやら教室にあるつくえやこしかけが流れてしまっ

て、教室もどろ田のようになっておりました。学校ふきんの家は皆流されて

道はどこかわからぬようになっておりました。…… 」

 

  この作文は、これ以外にも先生と一緒に学校付近の片付けをしていること

や何十人もの警防団や個人の応援があったこと、そして各地から着物や布団

などの救援物資が送られてきたことを綴っています。

ほかの児童の作文にも津波の様子が克明に描かれており、津波が5、6回

押し寄せたこと、中でも1回目と3回目が一番大きかったことや、特に学校

の「前の山」に登ったことは多くの児童が記述しています。

「吉津村国民学校のあった神前浦は平地が結構広く、北方の山地に登るの

では間に合わない。「前の山」は海岸に近く、一時は海に向かう格好となる

が、「先生の指図」で「すぐ前の山」に避難した。そこには先生の冷静な判

断があった。」と報告書では教師の冷静で適切な判断があったことを述べて

います。

(出典① 竹野新衛「体験した『津波』の恐ろしい思い出」(旧四日市を語

る会『二十世紀の自然災害 記録と145の証言』2000 所収 )

   ② 小山保「作文」(南島町教育振興会資料センター部『忘れない!

あの日の大津波―東南海地震体験記録―』南島町 2000所収))

   

 

 

法律コーナー

不貞行為による離婚慰謝料支払義務

弁護士   松 永 辰 男

 

 夫婦は、それぞれの立場で貞操を守る義務と、これを他人に侵されない権利とがあります。これを称して人格権とも言いますが。そこで婚姻関係にあった妻が勤務先の社員と不貞な関係になり、夫が、その社員を相手にして離婚の慰謝料を請求した事案について東京高等裁判所の判決を破棄し、訴えていた夫の請求を棄却(認めなかった)判決がありました(最高裁判所平成31年2月19日判決・判例時報2420号68頁)。事案の概要は、夫でありますXが、妻であるAと不貞な関係をもったYに対し、不貞な関係をもったことを理由として離婚の慰謝料を請求した事案です。XとAは平成6年3月に結婚し、二人の子をもうけたが、Xは仕事のために帰宅しないことが多く、AがYの勤務先であります会社に入社した平成20年12月以降は、夫婦間の性交渉がない状態になっていました。Yは平成20年12月頃勤務先である会社でAと知り合い、平成21年6月以降Aと不貞行為に及ぶようになりました。Xは平成22年5月頃YとAが不貞関係にあることを知りました。Aはその頃Yとの不貞関係を解消し、Xと同居を続けるようになりましたが、平成26年4月頃、長女が大学に進学したのを機に、Xと別居し、その後半年間Xのもとに帰ることも、Xと連絡を取ることもありませんでした。Xは、AがYと不貞関係を解消して4年余経過した平成26年11月頃Aを相手にして離婚調停の申し立てをし、平成27年2月に離婚調停が成立して離婚しました。このような事実関係を前提にして東京高等裁判所は、YとAとの不貞行為により婚姻関係が破綻して離婚することになったのであるから、Xに対し離婚に伴う慰謝料を支払う義務があると判決しました。そこで最高裁判所は、夫婦の一方は、他方に対し、不貞行為により離婚することになった場合は離婚の慰謝料を請求することができるところ、本件は、夫婦の一方が第三者と不貞行為をし、その第三者に請求している事件であるけれども、夫婦が離婚するに至る経緯は当該夫婦の諸事情に応じて一様ではないが、離婚に当たっては、当該夫婦によって決められるべき事柄であるとし、不貞行為に及んだ第三者が、離婚についての慰謝料支払義務を負うのは、第三者が夫婦の一方と不貞行為に及んだというだけでは足りず、当該夫婦を離婚させることを意図して婚姻関係に対する不当な干渉をするなどして当該夫婦を離婚のやむなきに至らしめたと評価すべき特段の事情があるときに限られるべきであるとし、上記の事案では、そのような特段の事情は認められないからXのYに対する慰謝料の請求を認めた判決を破棄しました。不貞行為をしたからといって単純には離婚慰謝料の請求はできないということです。

木祖村コーナー

木祖村だより

編集後記

編集後記

 ◆ 令和元年も終わり、令和2年となりました。

今回の年末年始は、曜日の並びで例年より長い休みとなったことから、そろそろ始めなければと思っていた「断捨離」に取り掛かろうとしたのですが、日ごろの運動不足のせいか初日に腰を痛めてしまい、年末には何もできずに新年を迎えてしまいました。

 新年はこのところ恒例としている、元日のニューイヤー駅伝、2日、3日の箱根駅伝をテレビ観戦して過ごしているうちに動けるようにはなったのですが、「断捨離」に手を付けることもなく長いと思っていた休みも終わってしまいました。年末年始を振り返り、毎年同じ繰り返しになっていることを反省して、今年こそは少しでも「断捨離」が進むように早い時期から手掛けていきたいと思っています。

 

◆ 1月21、22日の2日間で名古屋市上下水道局と京都市上下水道局の合同防災訓練が行われました。これは災害発生時に大都市の水道局が相互応援を行う覚書に基づき行われたもので、今年は京都市からの応援を受け名古屋市で実施されたものです。

1日目は、情報伝達訓練、本部運営訓練などが行われ、2日目は、応急活動訓練として、運搬給水訓練、応急復旧訓練、応急給水訓練が比良西応急給水センターで行われました。

名水協も2日目の応急活動訓練に穂刈理事長、細田防災事業部会長、高橋理事が参加し、仮設給水栓を設置し、地元の市民の皆さんに応急給水を行いました。

今回の訓練では、給水タンク車を使った運搬給水、配水管・給水管の漏水復旧、応急給水槽を組み立てての応急給水、仮設給水栓を設置しての応急給水と災害発生時での迅速な対応が求められる内容でしたが、いずれの訓練も手際よく行われ、参加した住民の皆さんも安心された様子でした。

 災害は忘れたころにやってくると言われていますが、近年では忘れる前にやってくる状況なので、ライフラインを支える水道事業の一翼を担っている者として、常に災害に備えておくことが必要であると再認識したところです。

(T.T)