『桜天神社』第35回フォトコンテスト入賞 撮影:水道組合 吉田 信彦 氏
名古屋の風景
戸田川緑地
吉田 信彦 氏 (水道組合)
平成元年(1989年)に開園した戸田川緑地は中川区と港区にまたがる都市公園で名前が示す様に戸田川中流の両岸2.5kmに渡って広がる。公園は南地区・中央地区・北地区に分かれており、計画面積は59.6ヘクタールとなっているが未完成の部分も多く、現在も工事が進められている。南地区には名古屋市農業文化園やとだがわこどもランド、デイキャンプ場などが置かれており、公園の中ではもっとも来客数が多い。陽の郷(ひなたのさと)の別名がある。中央地区は芝生広場やファミリースポーツ広場などのほかインラインスケート場やパターゴルフ場などがある。北地区は植樹が行われるなど整備を進めており一部が立ち入り可能になっているが案内図などにも記載されていない。
事務所所在地 名古屋市港区春田野二丁目3204
アクセス 国道302号(名古屋環状2号線)南陽中学校交差点から東海 通を西進南陽支所交差点を北へ(第1駐車場)
※通常は駐車料金無料ですがイベント開催時には有料となります。
会議コーナー
定 例 理 事 会
1.開催日時 3月3日(水)
午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 17名
1.出席理事 17名
お知らせコーナー
神戸市管工事業協同組合視察
月 日 令和3年3月5日(金)
場 所 神戸市管工事会館6階
会議室
全国で相次ぐトイレや排水管つまりなどの水回りの高額トラブル相談件数は兵庫県が全国最多と報道されていることを踏まえ広報技能委員会では3月5日(金)に神戸市管工事業協同組合を訪問し悪徳業者対策を中心に組合事業に関わる諸問題について意見交換を行いました。当組合からは穂刈理事長、小池副理事長、宇津山副理事長、広報技能委員会担当理事、事務局の8名が出席しました。神戸市は森岡理事長、髙井副理事長、住田事業部長、井戸事業副部長、事業理事、事務局、総勢10名の方にご出席いただき活発な意見交換が行われました。
神戸で実際に修理業者と交わした工事請負契約書は業者名は異なりますが工事の内訳、金額など書き込む欄などフォーマットは同じで裏面のクーリングオフに関する文言も一致しており所在地も同じでありバーチャルオフィスであり、本部の業者名も〇〇設備と教えていただきました。当組合としましても名古屋市消費生活センターに寄せられた令和2年度上半期の相談でトイレ修理に関する相談が25件寄せられ前年同期の2件から約13倍になっていることなどから名古屋市消費生活センターとリンクを張ったり、被害対策弁護団の弁護士からの質問に答えたり、穂刈理事長がNHKのニュース番組のインタビューを受けるなど市民に注意喚起を行っていることをお伝えしました。
限られた時間でしたが有意義な会議となりました。その後、直下型大地震の災害資料である阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターの見学も行いました。
お知らせコーナー
第35回フォトコンテスト選考結果
恒例となりましたフォトコンテストを「季節がわかる近所(会社・自宅)の神社・仏閣」というテーマで実施いたしましたところ、各工事店から多数の応募があり、その中には優秀な作品が数多く見られました。広報技能委員会では、慎重に審査した結果、下記の12作品を入選決定といたしました。
多数の応募作品を提供していただきましてありがとうございました。
タイトル | 氏名 | 所属 | 掲載月 | |
最優秀賞 | 晩秋の骨董市 | 澁谷 春壽 | シブヤパイピング工業㈱ | 9月 |
優秀賞 | 豊国神社 | 山口雄一郎 | 水道組合 | 7月 |
委員長賞 | 白山神社 | 山田まゆみ | 水道組合 | 11月 |
入賞 | 元旦祭 | 伊藤 大輔 | 名古屋市上下水道局 | 5月 |
〃 | 上野天満宮 | 田島 良子 | 協立設備工業㈱ | 2月 |
〃 | 少林寺 | 臼井 裕子 | 臼井設備 | 12月 |
〃 | 法輪寺 | 臼井 久範 | 臼井設備 | 3月 |
〃 | 大森寺 | 臼井 康之 | 臼井設備 | 10月 |
〃 | 生玉稲荷神社 | 臼井 千智 | 臼井設備 | 6月 |
〃 | 無病息災 | 山﨑はづき | 梅正設備工業㈱ | 8月 |
〃 | ちょっと寂しいお正月 | 鬼頭 舞 | ㈱名古屋施設 | 1月 |
〃 | 桜天神社 | 吉田 信彦 | 水道組合 | 4月 |
最優秀作品『晩秋の骨董市』澁谷 春壽 氏(シブヤパイピング工業㈱)
筆の泉コーナー
夕方
名古屋市上下水道局 鍋屋上野浄水場
技師 鈴木 大輝
太陽が傾き始め影が長く伸びる頃、街中を歩いていると、道端で立ち止まり太陽に向かって携帯のカメラを構える人を目にすることがある。そんな様子を見る度、仲間を見つけたような気持ちになって少し嬉しくなる。空や街並みが赤く染まる光景は、やはり何かしらの人を惹きつける魅力があるのだろうか。
夕方になり太陽の高度が低くなると、日中に比べて太陽光が地上に到達するまでの距離が長くなる。青い光に比べて波長の長い赤色の光の方が遠くへ届くため、昼間と夕方では異なった空模様が我々の目に映る。夏は湿度が高く空気中に水蒸気が多いため、赤い波長の光が散乱しやすく、日没時には空全体が赤く色づく。その一方で冬は空気が乾燥しているため、よりくっきりとした色合いの空になる。春や秋はすじ雲やうろこ雲といった季節ならではの雲が赤い空にピンクや紫を添える。
雲一つない快晴も良いけれど、個人的にはそれなりの雲が浮かんでいる時の方が好みだ。空の4割~6割くらいを雲が占めていて、なおかつ太陽が直接雲に隠れていない時は当たりの日。運よくそんなタイミングに恵まれたときは、少しの間歩みを止めて空模様の移り変わりを楽しむこともある。沈みゆく太陽の光に照らされた雲が、時間と共にオレンジや赤、紫とさまざまに色合いを変えつつ空を流れていく様子は見ていて飽きない。
風に流されて空に溶け込んでいく飛行機雲や、逆光で黒く見える鳥の群れを見て、高い空や風の流れに想いを馳せる。少し顔を下げると目に入る、高層ビルの窓に映る街並みや、眩しそうに目を細めて足早に歩いていく人々を見て、日々の生活や人生に思考を巡らせる。赤い景色を眺めていると、普段よりも想像力が働く。そうしていくぶんか時間が経ち、燃えるように赤かった西の空が紺色に塗りつぶされていく頃、ふと肌寒さを感じて再び足を動かし始める。ほんの少し目に残る眩しさを感じながら岐路につく。
夕焼けを目にした時の感じ方は人それぞれ。単に綺麗や美しいといった感想以外にも、郷愁や得も言われぬ物悲しさを感じたり、はたまた明日の天気や今日の晩御飯が気になったり。一言では言い表せない感想や感情が一瞬のうちに頭の中を駆け巡る。太陽が傾き始めたばかりの頃か、地平線の向こう側に隠れる瞬間かによっても、ずいぶんと受ける印象は変わってしまう。時間が経つにつれ、空の表情は刻一刻と変化していく。ふとカメラを構える人々は、言葉に表すのが難しい様々な想いを、夕焼けと共に残そうとしているのかもしれない。
談話室コーナー
最近見つけた趣味
緑支部・有限会社 小池設備
藤本 龍馬
今やネット社会。インターネットは、情報の収集や発信、コミュニケーションツールとして、私たちの生活に必要不可欠なものになっています。近年では、SNSを通じて新しい趣味を見つけたという方も少なくないと思います。というのも、ちょうど半年前に自分もインターネットを通して、新しい趣味との出会いがあったので、今回はそのお話をしようと思います。
私は昔から漫画を読んだり、絵を描いたりとインドア気質で、そういった趣味の発信や繋がりを作るのに、SNSというのはまさにうってつけでした。
その日いつものようにSNSを眺めていると、3センチ程の人形達がずらっと並んだ写真が流れてきました。なんだか興味が沸き、調べてみると、あるミニチュアゲームで使うフィギュアのようでして、なんでもその人形一体一体を人の手で塗装しているというのです。小さい頃からプラモデルを組み立てたり、細かい作業が好きなのもあって、本当に惹きこまれました。
家から電車に乗って30分ほどの所にある模型屋がこのミニチュアを取り扱ってるという情報を見つけ、早速その週の終わりに買いに出掛けました。
ミニチュアフィギュアが3体に、専用の筆と塗料が数色入っている、先ずはこれ!と言わんばかりの初心者向けのセットが販売されていたのでそれを購入し、初塗装に挑戦です。
ミニチュア自体とても造形が細かく、塗装する前の全く色が乗ってない状態でも正直とてもかっこよかったのですが、塗装を施すとまるで別物のようだったのです。しかも、その専用の塗料というのが塗りの手順をしっかり踏めば初心者でも綺麗な仕上げができるというもので、塗装初挑戦の自分でもそれっぽく仕上がってしまったので驚きました。そして何より、1からフィギュアを組み立て着色していく訳なので、完成した時の達成感が凄まじく、世界に1体だけの自分だけの仕上がりのミニチュアというのがもう堪らない訳です。
そうなるともっと沢山のミニチュアを塗ってみたいという意欲に駆られ、もう次にはミニチュアが30体のセットと塗料を20色以上買い足していました。まさに沼ですね。
消防コーナー
地震に備える59
名古屋市消防局OB 近藤 博
昭和19年(1944年)東南海地震(31)
「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944東南海地震・1945三河地震 平成19年3月」の報告書は、想定東海地震との関連についても言及していますので、その部分を紹介して「昭和19年(1944年)東南海地震」の項を終りたいと思います。
1 想定東海地震との関係
報告書は、「想定東海地震と1944(昭和19)年東南海地震とは密接な関係
にある。」としています。
東海地域に巨大地震発生の可能性が議論され始めたのは、1970年ごろから
ですが、その頃から東海地域には歪みが蓄積されており、巨大地震が発生す
る可能性があると指摘されるようになりました。
その後、当時不明確だったフィリピン海プレートの境界が、駿河トラフ湾
から相模湾に続くことが明らかにされたことに伴い、震度分布や地殻変動のデータを用いて、1707年宝永地震及び1854年安政東海地震の震源域は、駿河湾の奥まで達していたが、昭和の東南海地震は駿河湾の中までは達していない。
このため、駿河湾付近に、地震空白域(地震が起こるべき所にもかかわら
ず、しばらく起きていない場所)があると指摘しています。
つまり、想定東海地震とは、安政の地震で破壊された断層が、昭和の地震
(昭和19年(1944)東南海地震)では全て破壊されていない、割れずに残っ
た部分がある。そこで発生する地震が想定東海地震であると言っていること
になります。
2 駿河湾のプレートの沈み込み
報告書は、「想定東海地震の震源域である駿河トラフからの沈み込み速度
は、南海トラフからの沈み込みに比べ、遅いと考えられている。」としてい
ます。
そのため(想定東海地震)は、南海トラフ沿いの地震とは異なり、長い間
隔で発生する(たとえば1回置き)との考えもあるようですが、いずれにし
ても、想定東海地震の発生を否定できる積極的な根拠がない以上、想定東海
地震への備えは欠かすことはできないと思います。
3 南海トラフ地震
昭和19年(1944)東南海地震の震源域が、1854年安政東海地震より小さい
ことから、割れ残し(すべり残し)部分が地震空白域として残り、将来の大
地震発生場所と指摘された事等の考えから、いままでは、将来起こるであろ
う想定東海地震に対する備えとして、大規模地震対策特別措置法の制定等の
措置がとられ、東海地震に対する種々の対策と準備がされてきました。
また、従前、1944年東南海地震は、駿河湾の中までは達しなかったものの、
その結果発生すると考えられている想定東海地震が単独で発生するのか、他
の地域と連動して発生するのか、意見は分かれていました。
しかし、現在では、想定東海地震が、東南海地震や南海地震と連動して起
きるとの考え方が根強くなり、最新の知見では、それを広く「南海トラフ地
震」と規定し、あらためて種々の備えを呼びかけています。
それに伴ない、平成29年11月11日からは大規模地震対策特別措置法に基づ
く気象庁が発表していた「東海地震に関する情報(警戒宣言含む)」は発表
されなくなり、その代わり「南海トラフ地震に関連する情報」が発表される
ように改正されました。
4 まとめ
2011年3月11日に東北地方を中心に発生した「平成23年(2011年)東北地方太
平洋沖地震」(震災名「東日本大震災」)は記憶に新しい最も大きな地震に
なりますが、それ以後も東北地方・北関東地方では地震が頻発しています。
2月13日には2011年の「東北地方太平洋沖地震」の最大の余震とされる震度
6強の地震も発生しています。
それに比較しますと、現在私たちが住んでいる東海地方は一見平穏に見え
ます。しかし、今まで縷々述べてきたように過去には、明治24年の「1891年
濃尾地震」、昭和19年の「1944年東南海地震」、後に述べる昭和20年の「三
河地震」と、特筆すべき大きな地震が発生し甚大な災害を被ってきた事実を、
決して忘れてはいけないと思います。
私たちは今後とも、近い将来必ず発生すると言われている「南海トラフ地
震」の情報に十分注意し、最悪の場合を想定して常に備えておく必要がある
と思います。
木祖村コーナー
木祖村だより
事務局だより
事務局だより
◎ 4月という新年度を迎えました。例年ですとこの時期は出会いや別れの季節ですが一年以上続くコロナ禍の中、卒業式や入学式は無事行われたのでしょうか?それまで「当たり前」とされてきた様々な常識があちらこちらで覆されました。密回避という生活様式、人が集まるような場所はことごとく封鎖、或いは人数制限、ソーシャルディスタンスの徹底が求められるようになりました。組合内にあります名古屋建築設備高等技術専門校は感染対策を講じ参加人数は縮小、広い会場での実施で無事3月24日(水)修了式を迎えることができ13名の訓練生が巣立って行きました。
◎ 「お知らせコーナー」に第35回フォトコンテストの審査結果を掲載させていただいております。皆様で紙面を飾っていただくため早急にテーマを広報技能委員会で決定しお知らせいたしますので奮ってのご応募をお待ちしております。
◎ 最後に、今号から組合職員の一部が順に事務局だよりとして巻末に原稿を掲載させていただきます。たくさんの方々の寄稿やご支援によって今号も無事に発行することができました。これからも楽しく、ためになる広報誌を皆様にお届けしたいと思います。これからもよろしくお願いします。
(NOBU)