『学生生活最初で最後のどまんなか祭り』第38回フォトコンテスト最優秀賞 撮影:㈲國水管工 吉川美貴子氏
フォトコンテストコ-ナ-
令和5年度フォトコンテスト優秀作品
フォトコンテストコ-ナ-
第40回組合だよりフォトコンテスト選考結果
会議コーナ-
定 例 理 事 会
1.開催日時 3月6日(水) 午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 18名
1.出席理事 17名
定例理事会 全体風景
組合三役
総務委員会
広報技能委員会
資材委員会
業務管理委員会
青年部会コーナー
ファミリースキ-
開催日 令和6年2月4日
場 所 めいほうスキ-場
参加者 31名
毎年お世話になっている長野県のやぶはら高原スキー場の山荘が休業中のため、今年はファミリースキーの行先を変更して岐阜県のめいほうスキー場へ行きました。
めいほうスキー場は西日本最大級のゲレンデを誇るスキー場で、初級者向けのロングコースや子供向けのキッズパークも充実しています。スキー場の近くには明宝温泉もあるため、子供から大人まで1日中楽しむことができました。
到着後にまず集合写真を撮り、各々ゲレンデへ向かいました。今年は暖冬のためか例年より雪が少なめでしたが、参加者の子供達は普段見慣れないゲレンデ一面の雪に興奮している様子でした。
今年スキーデビューの子供達がお母さんに手取り足取り教えてもらっている姿や、少し滑れるようになった子供達が必死にお父さんの後ろについて滑っている姿を見て、とても微笑ましく思いました。
昼食ではカツカレーが一番人気だったようで、多くのテーブルで美味しそうに食べている姿を見かけました。私もカツカレーを食べましたが、とても美味しかったです。スキー場からシャトルバスが出ているので、冷えた体を温めに明宝温泉に行かれた方もいらっしゃいました。ジャグジーや露天風呂、岩盤浴以外にも広い和室の休憩室があり、温泉に入った後はスキー場に戻るシャトルバスの時間までゆっくり寛げました。
1日中スキーを楽しんで皆さんクタクタに疲れた様子で、帰りの車内では多くの方が眠りについていました。今年も参加者の皆様のおかげで怪我もなく、イベントを無事終了できたことに感謝いたします。また青年部の行事がある際は皆様奮ってご参加下さい!!
青年部会 北支部 古山 雄基
めいほうスキ-場
参加者集合写真
青年部会コーナー
第200弾定期夜間勉強会(1)
開催日 令和6年2月21日
場 所 水道会館
参加者 62名
定期夜間勉強会は今回で200弾という節目を迎えることができました。これも日ごろ参加していただいている組合員の皆様やメーカー様、関係者の方々ご協力があってだと思っております。改めて感謝申し上げます。
さて、今回は200回目ということで記念講演という形で開催しました。講演者は、正道会館空手師範六段、俳優、タレント、歌手、ボディービルダーとマルチに活躍されている『角田信朗』様をお招きし、講演を行いました。講演内容は、角田様の経験を元に上下関係のあり方を主軸にお話していただけました。また、僕らの知りえないK-1立ち上げの正道会館『石井館長』との苦労話も聞くことができました。
その中でも、角田様が経験してきた上下関係と、今の上下関係性の違いについては考えさせられることが多かったです。今の時代便利で上下関係の摩擦も薄れてきていいことも多いですが、先輩方が苦労してきた先に今の時代が築かれているのだなと考えさせられました。
講演の中でも印象的な言葉に『1歩踏み込む力』『ポジティブが人生を豊かにする』など苦労を経験したからこその言葉に重みを感じました。参加された方もいろいろな言葉に共感、学びがあったと思います。講演の最後に角田様に直接質疑応答させていただく時間も設けていただき、質問できた方はとてもいい思い出になったと思います。また、全体写真撮影にも快く応じてもらえ参加者の皆様もとてもいい経験になったのではないでしょうか。
今後も300弾に向けて皆様のお役に立つような勉強会を開催していきたいと思っておりますので、ご参加を心よりお待ちしております。
講演者『角田信朗』様
講演会の様子
熱心に聴講する参加者
会場の様子
青年部会コーナー
第200弾定期夜間勉強会(2)
青年部会コーナー
青年部会メンバ-大募集!!
お知らせコーナー
令和6年能登半島地震 被災地視察報告(1)
お知らせコーナー
令和6年能登半島地震 被災地視察報告(2)
お知らせコーナー
令和6年能登半島地震 被災地視察報告(3)
お知らせコーナー
第41回フォトコンテストのご案内
筆の泉コーナー
テレビゲームと生きる人生
名古屋市上下水道局 管路工事統括室
技師 宮森 明生
テレビゲームと聞いて皆さまはどのようなイメージが沸くでしょうか。ゲームをやりすぎると馬鹿になる、依存度が高くイライラや暴言などが目立つようになるなど、悪いイメージが多くあげられるかと思います。私は、幼稚園児のころからゲームをプレイしていたため、あまりイメージが沸かず大人になり、子育て世代となってしまいました。なんとなく、今までとこれからのゲームとの付き合い方について、この場をお借りして考えてみようと思います。
私が初めてプレイしたゲームは、スーパーファミコンで発売されたスーパードンキーコングというゲームでした。アクションといわれるジャンルで、ゴリラとサルを操作しながら道中のワニや鳥を倒し、ターザンのようにロープを使うような様々なギミックを駆使してゴールを目指します。初めてプレイした時は、地べたを歩くだけのリスすら倒せず、悔しくて泣いていた記憶があります。今では、数時間あればラスボスまでたどり着くことができるほど立派?に成長しましたが、このころはあまりゲームをした利点を感じた記憶はありませんでした。その後、ゲームボーイという任天堂から発売された携帯ゲーム機の登場と、今では知らない人がいないポケットモンスター(通称ポケモン)が発売されました。これは友達との交換や対戦を売りにしていたこともあり、友達と楽しく遊ぶ共通の話題となりました。ゲームは、様々なジャンルがあるため、いろんな人と話すきっかけになりやすいので、実際の人間関係を円滑にする一つのツールとして役に立っていたと感じます。
また、先ほどあげたポケモンも時代とともに変化し、ストーリーの面でもいい面があると最近あらためて感じました。昔は、人のポケモンや物を盗む、世界征服をもくろむ等明確な悪役が存在し、主人公が悪役をやっつけるシンプルなものでした。現在発売している最新作では、いじめが原因でいじめを防ぐために徒党を組んだ集団や、親と子供の関係、才能があるゆえの葛藤など、一人ではどうにもならない問題をピックアップし、一つの解決策をストーリーで展開しているように感じました。これは人間関係で悩む子供たちに一つのアンサーとなるのではないかと思います。
ただ、ゲームの悪い点は間違いなくあるとも思っています。スマートフォンの普及で、普段ゲームをプレイしなかった方も気軽に遊ぶようになった近年、あまりも気軽にできることから永遠に続けたり、課金要素で数十万円という高額なお金を使うなどは皆さんもよく耳にするかと思います。また、最近の対戦ゲームは顔を合わせず戦うインターネットを使ったオンライン対戦が主流となりました。その結果、相手の気持ちを配慮しない言動、SNSでは汚いプレイヤー同士の晒し行為が横行しているのが現状です。チームでプレイするゲームに至っては、味方に迷惑がかかる利敵行為、放置なども多く、私自身もその場で怒ってしまうことがあり、子供に「ぱぱ怖い」と言われた時は、はっと我に返り、恥ずかしくなってしまいました。
いろいろと振り返ってきましたが、個人的にはゲームをやってきたこと自体は達成感や、ネットの友人など自分自身の世界を広げることに大きく役に立ったと感じました。現在はeスポーツという名前もつき、プロゲーマーなど競技としての側面も見え始めています。自分の子供たちも最近ゲームをはじめ、クリアできないマリオに悔しくて怒っていますが、一緒にプレイしながらクリアを目指し、ゲームとの付き合い方を今後も一緒に学んでいきたいと思います。
談話室コーナー
車社会の遍歴に想う
北支部・株式会社松本設備
松本一成
今日、車社会が大きく変貌している。昭和三十年頃は、まだ国産車も少なく主流はセダン型が多くみられ、国内メーカーはヒルマンやオースチン等、外車をモデルに開発が進められていた。 ミッションはオートマチック(ノークラ、トルコンと呼んでいた)の車は少なく、マニュアルシフトの車ばかりでトヨタがトヨグライド、日産がボルグワーナーオートマチックを作り始めた頃である。最近は電気自動車、ハイブリッド車をはじめ、ミニバンやSUVが主流で、セダン型は影を潜めている。ミッションはほぼオートマチックとなり、車社会も変わったなと思う近頃である。当時は、パワーステアリング等がなく、重いハンドルやクラッチを踏み込み、コラムシフトのチェンジレバーで運転したものであるが、その時は運転を楽しく思っていた。
近年、若者が旧車に興味を持ち、乗り廻しているのをよく目にする。旧車が目新しく新鮮に見えるのだろう。好んでセダンのマニュアルシフトを選び、レストアしながら楽しんでいる様だ。私が若い頃は車を自分である程度さわっていた。プラグの交換、エアークリーナーの清掃などは楽しくやったものだが、今の車はエンジンルーム内をさわる事すらできない車種もある。もっと若者が興味をひくシンプルで安い車を供給すれば、私が経験したカーライフを楽しみ、メカに強くなり、我々の仕事にも反映していくのではないだろうか。
当時とは環境等の法律が大きく変わっているので難しいのかもしれないが、あまりにも自動運転が発達し、人間本来の動作をしなくなると、車に乗る楽しみがなくなるのではないかと感じる。パブリカ、コロナ、サニー、ブルーバード等の車名を復活させるのはどうだろう。もう一度原点に戻り、現状を見直していくことで、新しい何かを見つけられるのかもしれない。
私は車が好きで二十代はモータースポーツを楽しみ、鈴鹿サーキットを走っていた。あの時の爆音やオイルの焼ける臭いを懐かしく思い、昔のカーライフをもう一度楽しみたいと思うのは私だけであろうか。昭和三十七年に鈴鹿サーキットを作った本田宗一郎は、電気自動車がサーキットを走り、独特の音も臭いもないサーキットをどう思うのだろう。地図を広げ、道を調べてドライブをする時代は終わり、自動運転車や水陸両用車が活躍している。車が空を飛び、川を渡り、スイッチ一つで目的地まで行ける未来はすぐ近くまで来ているのかもしれない。高齢化社会が進み、車の安全性や便利さを追求していくことは必然だろう。昔のカーライフを懐かしく思い、そんな未来をほんの少しだけ寂しく感じる私は、もう古いのかもしれない。これからの車社会の変貌を見続けていきたい。
法律コーナー
試用期間の延長の可否について
弁護士 成 瀬 洋 二
日本の企業では、従業員を採用する際、3ヶ月程度の試用期間を設けた上で、就業規則にて、「試用期間中の勤務状況を観察した結果、適格性を欠いた場合には本採用しない」などという規定を設けていることが多いと思います。試用期間は、企業側に解約権が留保された労働契約であると解されていますが、無制限の解約権ではなく、解約権が留保された趣旨に照らして客観的合理性・社会的相当性がなければ解約はできないとされています(通常の解雇よりは広いです。)。
試用期間は、本採用に至るまでの適格性の観察期間であり、いたずらに長引けば、従業員の立場を不安定にします。そのため、試用期間の長さや延長の可否についてしばしば裁判で争われてきました。今回は、Y社の就業規則において、試用期間を「3ヶ月以内」と規定されていたところ、Y社に採用されたXが研修期間中などで度々、問題行動を起こしていたため、Xの同意を得た上で、Y社が3回にわたって試用期間を延長し、その後、試用期間満了時にXを解雇したという事案(東京地方裁判所令和2年9月28日判決)をご紹介します。本件では、試用期間の延長の可否が問題になりました。
本判決は、Y社の就業規則には試用期間の延長に関する規定はないものの、職務能力や適格性について調査を尽くした結果、解約権の行使を検討すべき程度にXに問題がある場合には、Y社において更に調査を尽くしてXの職務能力や適格性を見極める必要から、Xの同意を得た上で必要最小限度の期間を設定して試用期間を延長することは可能であると判断しました。そして、本件では、Xの勤務態度等に少なくない問題があったものの、Y社がXに問題点を指摘して改善を促す取組みを十分にしておらず、Y者において調査を尽くしたとは言えないため、試用期間の延長が認められませんでした。
本判決は、試用期間の延長を認めなかったため、解約権の行使でなく、解雇の問題となり、結果として、解雇無効を理由にXの請求が認容されました。解雇が無効の場合、Xの従業員の地位が認められるため、会社としては解雇以後の給与も支払わなければなりません。結果として、Y社はXに対して、解雇時から判決までの約2年分の給与と慰謝料を支払うとともに、引き続き、Xを雇用することを命じられたのです。
本件では、Xの適格性において少なくない問題があり、Y社が試用期間内にそれを指導して、それでも改善されないという経緯があれば、解約権の行使が認められた可能性は高かったと思われます。試用期間において従業員に何らかの問題が見つかった場合には、就業規則の規定を確認し、慎重な対応をとる必要があるでしょう。
木祖村コーナー
木祖村だより
事務局だより
事務局だより
2019年12月組合だより表紙
我家では光栄にも2019年12月「組合だより」の表紙に載せて頂いたセキセイインコの名前は「青ちゃん」♂を飼っています。当時は(生後7ケ月位)目がまん丸で可愛く、羽も艶があり綺麗だったのですが、表紙の写真から約5年、人間に例えると58歳位でおじさん(失礼(^^))になってしまいました。
青ちゃんを飼うきっかけには、ちょとしたドラマがありました。2019年の春、私は出勤中で留守だったのですが、家に居た姉の説明によりますと、ピンポーン!と玄関前に、それは綺麗な羽(レインボーいう種類)のインコを肩に乗せた男性が「本日、周辺の道路工事に来ている者ですが、何処から飛んで来たのか、私の肩に乗ったまま飛ぼうとしないインコの飼い主さんを、この通りのご家庭に聞いて回っているのですが見つからず、もうお宅が最後で」と困った様子だったとか、世話好き・動物好きの姉は、即!「一先ず我家で預かりますと」!(^^)! 私が帰宅した時には、見慣れぬ鳥籠(急いで購入)の中に美しい羽をした可愛いインコが家族の一員となっておりました。
ただ、そのまま預かり続ける訳にはいかないし、飼い主さんも心配して探していると思い、同居している姪孫(テッソン:姪の子)女子が写真と「迷いインコ保護してます」をSNSに投稿し、10日後位だったと思いますが、飼い主さん(港区在住若い女性)から連絡を頂き(港区~我家の中区まで飛んで来たなんて凄い!!)迎にみえる事になったのです。ところが、姪孫(テッソン:姪の子)男子当時小学6年生が「返したくない」と、情が移ってしまい駄々をこねる(;_:)有り様で、そこで即!小鳥屋さんに・・・・次第です。小鳥屋のご主人がすでに「青ちゃん」と呼んでいたらしく、そのまま我家でも「青ちゃん」と名付ける事にしました。
家族と賑やかな籠内生活をしていた域に、一羽で我が家に来た当初は、寂し気に「ヒィロヒィロ」と、か細い鳴き声で、3日間ほど止まり木で動かず、餌も水も口にしない様子を見ていて、死んでしまうのではと心配しました。そこで色々考えた末にコンビニのプラスプーンで口元に餌を運ぶ事で食べてくれるようになりました。しかし、これが癖となり、その後も甘やかして育ててしまった為、チョーわがままインコに成長、太めの体を前屈し餌箱から食べるより、スプーンで食べる楽さを覚えてしまい、私が籠の近くを通り掛かると「スプーンで餌頂戴」と言わんばかりに大きな鳴き声で、与えるまで「ピー!ピー!」と鳴き続ける、他事をしながら「青ちゃん、餌箱から自分で食べてよー」と無視していると、今度は止まり木を左右に移動しながら「ジージー」と怒り出す始末、あの「ヒィロヒィロ」が懐かしい。
青ちゃんが話せる言葉は四つ、「なにー青ちゃん」・夜でも「おはよう」・「だよねー」・テレビ~覚えたTEL番号?「いち、に、さん」、他は何を言っているのかさっぱり解らない。壁に向かいゴニョゴニョ「だよねー」と一生懸命(誰か?)にお話をしている。セキセイインコを長生き(平均寿命 5年~10年)させるコツを検索したところ適切な給餌・適度な運動と日光浴・室温維持と清潔とストレスが少ない環境等々大変に世話が掛かかるやんちゃな「青ちゃん」ですがご長寿目指して頑張ろう!! (M.Y)