『どんでん』第38回フォトコンテスト委員長賞 撮影:安井水道工業所 安井直孝氏
フォトコンテストコ-ナ-
令和5年度フォトコンテスト優秀作品
会議コーナー
定 例 理 事 会
1.開催日時 4月3日(水) 午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 18名
1.出席理事 17名
上名古屋市下水道局挨拶
組合三役
総務委員会
広報技能委員会
資材委員会
業務管理委員会
会議コーナー
臨 時 理 事 会
臨時理事会 全体風景
1.開催日時 4月22日(月) 午後3時
1.開催場所 水 道 会 館
1.理事定数 18名
1.出席理事 17名
専門校コーナー
名古屋建築設備高等技術専門校 修了式
開催日 3月21日(木)
会 場 水道会館 4階
名古屋建築設備高等技術専門校の第31期生は希望に胸を膨らませ昨年4月に入校し、13名が1年間の課程を優秀な成績で修了し修了式を迎えました。
修了式では穂刈校長の挨拶の後、修了証書、技能照査合格証書の授与があり成績優秀者に愛知県知事賞(受賞者:㈲金星リビングシステム 鈴浦雅也さん)、名古屋市長賞(受賞者:名古屋上下水道総合サービス㈱ 具志堅央さん)、名古屋市上下水道局長賞(受賞者:水野工業㈱ 高橋尊さん)、愛知県職業能力開発協会会長賞(受賞者:武田機工㈱ 大城大宜さん)、愛知県技能士会連合会会長賞(受賞者:山信㈱ 太田悠介さん)、校長賞(受賞者:武田機工㈱ 池田広翔さん)及び皆勤賞(受賞者:山信㈱ 太田悠介さん)が贈られました。
さらにご臨席いただきました愛知県知事 大村秀章様(代理:愛知県労働局産業人材育成課担当課長 石川竜也様)、名古屋市長 河村たかし様(代理:名古屋市経済局産業労働部労働企画室主査 越瑞葵様)、名古屋市上下水道局長 横地玉和様(代理:名古屋市上下水道局給排水設備課長 川添勝己様)からご祝辞を賜り、最後に修了生を代表して鈴浦雅也さん(㈲金星リビングシステム)が答辞を述べられました。
出席者集合写真(専門校役員・訓練生・事業主)
専門校コーナー
名古屋建築設備高等技術専門校 入校式(1)
第32期生 14名の訓練生が入校しました!!
開催日 4月10日(水)
会 場 水道会館 4階
名古屋建築設備高等技術専門校は、平成5年4月開校以来31期、546名の修了生を送り出し、設備業界の第一線で活躍し事業主の方からも喜ばれているところです。
近年、業界を取り巻く情況は引き続き厳しいものがありますが、訓練生本人のやる気、それに事業主の方の温かいご理解を得て、今年度も第32期生14名が希望に胸を膨らませ、4月10日(水)入校式を迎えました。
入校式では校長穂刈理事長から1年間健康に留意し、積極的に研鑽して知識・技術・技能の習得や各種資格試験にも挑戦し、全員揃って3月に修了式を迎えて建築設備業界で大いに活躍していただくよう激励の挨拶がありました。
続いてご臨席いただいた愛知県知事 大村秀章様(代理:愛知県労働局産業人材育成課課長 花木俊敬様)、名古屋市長 河村たかし様(代理:名古屋市経済局産業労働部労働企画課長 長谷川実穂様)、名古屋市上下水道局長 横地玉和様から励ましのご祝辞を賜り、ご臨席いただいたご来賓の紹介、1年間ご指導いただく講師の紹介が行われ、盛会の内に終了いたしました。
来賓・専門校役員による国家斉唱
入校生による国家斉唱
宇津山副校長 開式の辞
穂刈校長 挨拶
専門校コーナー
名古屋建築設備高等技術専門校 入校式(2)
《第32期生入校式風景》
入校生紹介
愛知県労働局産業人材育成課課長 花木俊敬様 祝辞
名古屋市経済局産業労働部労働企画課長 長谷川実穂様 祝辞
名古屋市上下水道局長 横地玉和様 祝辞
祝辞を賜る入校生
来賓紹介
組合役員
小池幹事 閉会の辞
青年部会コーナー
第201弾定期夜間勉強会
開催日 令和6年3月21日
場 所 水道会館
参加者 18名
今回の夜間勉強会はSANEI(株)を講師にお招きし「水栓金具の製造工程について」をテーマに開催しました。
まずはSANEI(株)の会社概要から始まり、国内で一貫して製品製造を行っているとの説明があり、工場見学に足を運べない方向けの紹介動画をみせていただきました。動画の中では、設計開発・金型鋳造・加工・研磨・メッキ処理・組立梱包の一連の流れを説明いただき、すべての完成品が製造工程の中で圧力試験、浸出性能試験、通水試験、外観検査を行っているそうです。
次にホテルや旅館などのリゾート施設での納入事例が多い、普段見かけないようなオシャレなデザイン水栓の紹介をしていただきました。主要他社メーカーにはない様々な水栓を開発し、他社との差別化を図っているそうです。
続いて、現場で施工する際に便利な商品をご紹介いただきました。キャビネット下などに後付けできるコンパクトなサーモ継手や複数メーカーに対応したトイレタンク内部品、分岐止水栓などSANEI(株)独自の「あったら良いな」と思う製品などの紹介をしていただきました。普段カタログを見ている中で気に留めていない商品などもあり、勉強会をきっかけに紹介された製品を是非使ってみようと思いました。
今後も皆様のお役に立つような勉強会を開催していきたいと思っておりますので、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
青年部会 守山支部 寺尾 瞬
講師からの説明
参加者の様子
青年部会コーナー
青年部会メンバ-大募集!!
筆の泉コーナー
悪天候の登山の恐ろしさ
名古屋市上下水道局 配水設計課
技師 櫻井 堅太
皆さんは登山をしたことがありますか?登山は自然との対話であり、時には予期せぬ試練に直面することもあります。その中でも、悪天候は登山者にとって最も恐ろしい要素の一つです。3年前の夏、私は富士山に登山し、山頂でのプロポーズを計画していました。しかし、その挑戦は思いもよらぬ展開を迎えることになりました。コロナ禍の影響で登山客は少なく、穏やかな気候が期待されました。 しかし、途中で現地のスタッフの何人かから山小屋の営業状況を確認するよう伝えられたり、登山の危険性についての警告を受けたりしました。それでも私は、山頂でのプロポーズを諦めず、8合目の山小屋を目指して登り続けました。
山小屋に到着した時、私たちの周りは暗雲が立ち込め、激しい風が吹き荒れていました。山小屋のスタッフから翌日の山頂アタックは非常に厳しいと説明がありましたが、私はまだ諦めませんでした。プロポーズの夢を追い求め、山頂への挑戦を決意しました。しかし、夜が更けるにつれて悪天候はますます悪化し、翌日の山頂アタックはせず下山するようスタッフから説明がありました。下山途中にも何度か強風で身体が持っていかれそうになり身の危険を感じました。五合目のバス停まであと少しのところで現地のスタッフから「残りは君たち2人だけだよ。乗っていきなさい。」と、最後は救助される形となってしまいました。登山は自然の力に逆らうことではなく、共存することを学ばせてくれる経験であることを改めて感じました。
下山後、私たちは予約していた富士山が見えるホテルに宿泊しました。富士山は悪天候で見えませんでしたが、その雰囲気が私たちの特別な日をさらに特別なものにしました。ホテルの部屋で、私は大切な人に向けてプロポーズの言葉を伝えました。彼女は驚きと喜びで涙を流し、その瞬間を一生忘れることはありません。富士山が見えなかったとしても、その日は私たちにとって特別な日となりました。自然の厳しさに立ち向かった経験が、私たちの絆をより強固にし、幸せな未来への一歩を踏み出すことができました。
悪天候の中での登山は、人間の力や計画には限界があることを思い知らされます。それでも、安全を最優先に考え、挑戦を諦めずに前進することの大切さも学びました。次回の挑戦では、より慎重に計画し、自然の力に対してより敬意を払いながら、登山を楽しんでみたいと思います。いつかリベンジを。。。
談話室コーナー
出逢い
西支部・安井管工業株式会社
水野 博子
「今日あなたは新しい出逢い、ありましたか?」何気なく毎日を過ごしていると、新しい出逢いがあっても気づかないものですよね。
日々楽しく過ごせている私にも、思い出したくもない過去があります。毎日が苦しかった。そんな私を変えてくれたのも「出逢い」でした。その人との出逢いも、はて?出逢うきっかけって何だったっけ?って考えるほど、何気ない出逢いだったと思います。私は、学生時代に良い思い出がほとんどありません(今思えば辛いことが大きすぎて楽しいことも覚えていないだけなのですが)。身内には「あんたは現実から逃げてるだけだ」と言われたこともありました。そんな私を変えてくれた人と出会ったのが、二十歳になる直前でした。何気ない会話で「いま現実から逃げているんじゃないんだよ、前に進んでいるんだよ」。この何気ない一言に私は救われました。「そっか、前に進んでいるんだ」考え方ひとつですよね。でも当時の私には「前に進む」の言葉がグサッときました。「こんな大人もいるんだ」この出来事で、私の考え方は大きく変わりました。嫌なことも嬉しい出来事も、必ず意味があるんだな。起こるべくして起こっているんだなと。
その出逢いと同時期に、ある雑誌の記事を目にしました。「人の出逢いは偶然じゃなくて必然。自分の人生に必要じゃない人とは出逢わない」この言葉も私の人生のターニングポイントでした。
「出逢い」と聞いて、良い出逢いを想像してしまいませんか?でも決して良いことだけではありません。「あんな人には関わりたくない。あんな人にはなりたくない」そう思っても、実はそれも「出逢い」なんです。「自分は、ああなりたくない」それも相手があっての感情ですよね?「こんな嫌な思いをしたから、自分は人に対して気を付けよう」そう気づくのも相手があってこそ。良き思い出も悪い思い出も、他人と他人が出逢ってやっと成立するのです。
「もう明日なんて来なくていい」そう思っていた未成年の私が、今では毎日楽しい日々を過ごしています。
余談ですが、ちょうど私の人生が変わった直後に大きな出逢いがありました。それが「今の職場」です。初めて面接に来たのが二十歳でした。そこから数十年・・・。「え?どうしてソコで繋がっているの?」全くの他人同士が、実は違うところで繋がっていた・・・そんな出来事が数多くあります。「ああ、これってやっぱり偶然じゃないんだ。必然なんだ」って日々実感しています。(それだけ世間は狭いってことか?!)
誰しも人生のターニングポイントが必ずあります。いま対人関係で悩みがある人に掛ける言葉があるとしたら「必ず出逢いで救われる!」できるだけ沢山の人と出逢って、沢山会話をしてほしいです。人によって壊された過去を、人によって救われる未来がある!人生捨てたもんじゃない!
「毎日の出逢い」大事にしていきましょう!
長いようで短い人生To Be Continu(ed)
法律コーナー
名目的取締役とその責任
弁護士 成 瀬 洋 二
中小企業の取締役の中には、代表取締役の親族であるなどの理由から取締役に就任し、取締役としての職務をほとんど行っていない者(名目的取締役)が少なくありません。たとえ名目的取締役であったとしても、適法な手続きを経て取締役に就任している以上、会社の業務に対する善管注意義務や他の取締役に対する監視義務を負うとするのが最高裁判例の立場です。そのため、会社が倒産した場合などに、会社債権者から名目的取締役に対して責任追及がされることがしばしばあります。名目的取締役は、通常、何らの職務もしていないため、任務懈怠が認められやすい傾向にあります。
今回は、亡Aの相続人であるXらが、レストランを経営するY1社の従業員であった亡AがY1社における長期間労働により、不整脈による心停止を発症して死亡したため、Y1社とその代表取締役Y2に対して、損害賠償請求を行った事案(東京高裁令和4年3月10日判決)をご紹介します。Y2は、Y1社の関連会社の従業員として勤務しており、Y1社の実質的経営者Bから依頼を受けて、Y1社の代表取締役に就任したものの、Y1社の業務執行には関わっておらず、取締役としての報酬も受け取っていなかったようです。
第1審は、亡Aの死亡が長時間労働により生じたものであると認定した上で、Y2は、Y1社の業務執行を一切行わず、亡Aの労働時間等を把握して必要な措置を一切取らなかったと認定し、Y2の責任を認めました。また、Y2がY1の実質的経営者Bから業務執行に関わる必要がないと説明されて何らの報酬も得ていなかったことは、Y1社の内部的な取り決めに過ぎず、Y2がY1社の代表取締役として負うべき責任の内容に影響を与えるものではないと述べ、合計約5000万円の損害賠償を認めました。
第2審においても、Y2の代表取締役の就任自体は有効であるため、代表取締役として負うべき一般的な善管注意義務は免れる又は軽減されるものではないと述べて、Y2の責任を認めました。もっとも、第2審では、亡AがY1社から病院への受診を促されたにも関わらず、受診しなかったことなどを考慮し、2割の限度で過失相殺を認め、合計約4000万円の損害賠償を認めました。
無報酬の名目的取締役に対して厳格に責任を問うことは酷であるとの評価もあり得るところですが、代表取締役の就任に対する認識がある以上、それに伴う責任が問われることはやむを得ないものと思われます。安易に名義を貸すことは、重大な責任を負う可能性があるため、名義貸しには慎重になるべきでしょう。
木祖村コーナー
木祖村だより
事務局だより
春まつり
営業の連絡をしていますと予期していない道路工事による車線規制で渋滞に巻きこまれたり、天気が不安定で低気圧の影響でどしゃ降りの雨などに遭遇して苦労することもあります。
そんな中、2月下旬にある工事店さんを訪問すると何やら大勢のひと人が集まり、監視員と思われる人まで集まっており、何事かと思いながらお伺いすると「もうすぐはだか祭りの男衆が練り歩き交差点を通り、隣の八幡神社に来る」とのことでした。季節はまだ厳寒期の肌寒い日でしたが、勇壮なはだかの男衆がなおい笹を担いで交差点を横断する光景は圧巻でした。そういえば今日は2月22日、国府宮の「はだか祭り」の日でした。男衆はこれから八幡神社で地元の人々に餅を投げてから、国府宮まで1時間余り練り歩くそうです。私自身も厄年の時に知り合いの方に一緒参加しませんかと誘われ、この時期に裸ではもたないと丁重にお断りしたことを思い出しました。それ以来機会あればぜひ近くで見てみたいという思いがありましたが、まさかはだか祭りに出かける男衆と出会うとは思っても見ませんでした。偶然でしたが、はだかの男衆の活気ある勇壮な姿には感動しました。
地元の春まつりといえば、尾張三大奇祭の一つ「きねこさ祭り」です。中村区にある岩塚、七所社で2月26日(旧暦の1月17日)行われた「きねこさ祭り」はすぐ隣を流れる真冬の庄内川に寒風が吹く中、後厄の男性10人と子役2名がはだか姿で川に青竹を運んで、一人が青竹によじ登り、青竹の折れる方向で、その年の吉凶を占う神事です。今年は南東に折れ、吉方で縁起の良い年だそうです。川祭りの後には七所社境内にて役者が所作を行い、役者の持つ祭具で叩かれると厄除けになるといわれており、参加した地元の人々は役者に近づいて祭具で叩いてもらいす。名前の由来は祭具のきね(たて杵)とこさ(杵からこすり落とした餅)を使用することから「きねこさ祭り」と呼ばれてるそうです。
新型コロナ禍での行動制限もなくなり、3、4年ぶりに春祭りが以前のように開催されるようになりました。久しぶりに賑やかなお祭りでワクワクしました。お祭りに限らず、活気のある勇壮な行事は見ている我々の気持ちも高揚させてくれます。年齢とともに神社、仏閣に足を運ぶ機会も増えてきました。伝統行事を引き継いでいただく神社氏子の皆様に感謝すると共に一年の平穏無事を祈念したいと思います。